えー、なしかよ

仕事の関係もあって総合的な学習の時間の(こう打つと、必ず修飾語の連続だと叱られる(笑)会合に、門外漢だけど出席した。かなり贔屓にしている学習活動で、基礎・基本とは、学力(と言いながら、百マスなどを「学力」と呼ぶ陳腐な論争もある)論争云々を遠目に、むしろ、こっちの方だと思っている。いわば、生きる力のOSなのだ。
いろんな実践事例が多いのだが、理科と社会を混ぜたようなもの、そんなのが多くて辟易している。地域素材とか言って、環境、国際理解、福祉などの領域の素材を地域に求めたりするものだから、「考え込まない社会」みたいになって、調べ学習(変な日本語)とか、発表(プレゼンテーション資料をせっせと作る学習。それって、「発表」なのか。最近、パソコンで作るのが大流行。みっともない)とか、見学(とにかく、見てくればいいらしい)など、全く洞察を欠いたものになっている。
そこで、少々話をした。ほんと、門外漢なのでしゃべりたくなかったが、かなり、眠かったのだ。総合的な学習の時間を中心にやっている人たちは先鋭化していると思っていたので、まあ、わかってもらえるだろうと。
こんな例を挙げた。2月に会ったLOCOさんがやっていたパフォーマンスで、コップレンジャーというのがあって、紙コップを使って球体仮面を作るのだが、これは任意の紙コップで一体いくつくらいで作れて、どのくらいの大きさになるのかの検討を付ける。その過程は、総合的な学習の時間にはならないのかと話したのだが、「算数ですよね」ってことで終わった(笑)
計算そのものが目的ではない。これはひとつの活動であって、プログラムの全体とは違うのだ。実は、少々皮肉っている。学習テーマがそのままアクティビティになっている例が多くて、ではプログラムはどうなのだと返したいものが少なくない。専門家の人には、前者を「教材」、後者を「単元」と言えばわかりやすいらしい。
もうひとつ、例えば、「書く」というテーマで学習を継続できないのかと話した。これも、何ともリアクションがない。
ま、関係ないと言えば関係ないので、いっか。とも言ってられないんだけど。
福祉って言って福祉施設に見学に、慰問にってのはどうも、リンゴを考えるのに消費者のことを考えないくらいのナンセンスだと思うんだけど、ボクだけか。