詩だと思われてしまった
このところ熱心に作っている原稿で、ある人に編集をお願いしていたらボクの表現を詩だと思われて、リスト処理されてしまった。苦笑いである。
ちなみに、以下がそれ。リスト処理してみた。
- 岩稜はときどきに人が滞り、のんびりとあたりを眺める余裕が生まれる。
- 海風はここまで到達するのか。
- 海を望む。
- 朝日岳がよく見える。
- あそこから歩いてきた。
- 歩けば到達するとわかっていても、何か感慨がある。
- 俯瞰する景観に、人は神の視点を知るのだと言った人があった。
- 神にはなれないが、思念はどこまでも広がる。
- この谷から吹き上がる風はどこまで立ち上るのか。
- 信州の大地と山脈の間を駆け抜けた風は、ここで雲になる。
詩としては駄作だな(笑)
まあ、散文として書いているので、そうなのかもしれないな。少なくとも、その人がこれまでに出会った文章ではなかったらしい。
「哲学的」と言われると、ボクは褒め言葉だと思うが、多くは意味不明難解複雑をそのような修辞をもって称する。
もっとも、「頭のいい人は簡明でわかりやすい文章を書く」と揶揄してくる人にまともな読解力があった験しがないが。