何を極とするのか
死に至ったから最も振幅が大きかったのか、あるいは、死に到らないさらに激しいものがあるのか。死に到らなければいいのか。情況がすべて解消することを願うのか。ボクにはどうもわからない。
ボクらは善く生きようとしているが、その生き方は清浄ではあり得ない。ドブにも命はあるし、全く美しく広がる高原には、むしろ、生き物のざわめきは薄い。生きることは汚れることでもあり、その汚れをまとうことを忌めばぎこちなく、いたたまれない生き方を強いられる。
そのような視点もなく、いじめるものといじめられるものの関係だけで問題に望むことは一種の優民思想を育み、助長するものではないかとの危惧が拭えない。その懸念が危惧であることを願うのだが。