旅チャンネルと教育基本法改正

夜中に旅チャンネルが流れていて、黒川温泉が紹介されていた。
お定まりのパターンで、お料理があって、町並みがあって、お風呂に入る。ここでは、お姉ちゃんがお風呂に入るときに、陰部以外は露出しているのが売りのようだが、そうなると陰部以外を露出できる女の子を手配する必要があり、公器であるテレビに流れるとあっては最近めっきりとすり減ってしまったけれども一部人倫の壁を超える必要もあり、自然選択は限られる。
今回のものも、奥菜千春という子で、大変結構な裸体をもっておられ、よい雰囲気を醸し出しているのだが、露出していないときが難物である。裸のときにはよく引き締まった表情をもっているのに、浴衣のときは全体にだらしなく、顎が緩み、首がすわらず、襟元がはだけている。そのうえ、飯を食う仕種が下品で、ソバを途中でかみ切ったときにはもういきり立つものも一気に萎えてしまうような感覚さえもった。これでは、紹介されたお宿もたまったものではない。露出を前提にセレクションしてしまったのだな、きっと。こういうことはあるんだ。こんはずではなかった。とね。
改正教育基本法を朝刊で眺めていた。議論の場所はよく見えない。何がおかしいのか、何が問題なのかわからぬくらいの60年ぶりの改正である。60年で既に寿命がきたのなら、来るべき60年にかけた内容にすべきであって、この改正なら何も必要なかった。このあとの関連法案の改正が本丸で、その根拠となる言質を含ませたいとする意図がよく見える。
だが、しかし、そうした改正の議論の影に隠れて全く普通に浸透している生涯学習の考え方や、すでに関連法で定義付けられている家庭教育など一般化されつつある考え方が、半世紀も前の表現のままで保存されてしまった。際立たせたいものを中心に考えてしまうとこんなことが起きてしまう。
こんなはずではなかった。賛成反対、議論に絡んだ人々のいずれもそう感じるのだろう。