博士の愛した数式

ムービープラスでやっているのを観ているが、なるほど、数学とは世界を記述する言語なのだな。ゆえに、理解不能の自体もあれば、どう考えても私たちの論理からは解読できないような現象も生まれる。
こうやって、数学を教えてもらえばよかったな。計算できることを、問題を解く方法を知っていることを「学力」と言ってしまうような乱暴が罷り通ってしまう現代に、こうしたアイロニーは通じているのだろうか。
学力論争と未履修問題の通底する意識を正面切って言いきる人はまだ少ない。多くの人々が唱えている学力は、必要のない「学力」を疎外して生まれるものである。たぶん、同じ人々が未履修を指弾している。アンビバレンツであるが、気付かれない限りは正当に見えてしまう。
見給え。あれほどに劇場的と言われた小泉政治を、安部の体たらくが正当化してしまっているではないか。