とりあえず上げた

後篇の予定が中篇に。予想された事態であるが、それすらも少し長い。開高健なんかを同時に読んでいるのはいけないな。どうでもいい修辞が加わってしまうが、それがけっこう気持ちよかったりする。いけませんな。
例えば、こんなのがある。

今の日本のマスコミとはハイエナとカラスとオオカミを乱交させて作りあげた、つかまえようのない、悪臭みなぎる下等動物である。おためごかしの感傷的ヒューマニズムと、個性のない紙芝居じみた美意識と、火事場泥棒の醜聞あさり、ナマケモノぐらいの大脳とミミズの貪欲をかきまぜてでっちあげた、わけのわからないなにものか儲かるものである。
開高健「ずばり東京」練馬鑑別所と多摩少年院)

ここで言う「今」は東京オリンピックごろ。それでも体質はいっしょだな。
こんなのもある。

身を粉にしてはたらくことがたのしいのだというマゾヒスティックな「快楽説」に私は賛成しないのである。どれだけのんびり怠けられるかということで一国の文化の高低が知れるというのが私の一つの感想なのである。(同 酸っぱい出稼ぎ 東京飯場

せっせと遊ぶ今の日本。誰もが懸命に遊び、ビールを掻き込むように飲み干す。そうか。それでこの人はウィスキーを舐め回すように飲むのだな。かくありたし。
しかし、せっせとボクのようなものがそんな文章を垂れ流し始めると編集者は困りものだが、書く場所がなくなるだけのことか。場所があって初めて書く動機が生まれているんだけど。