藤原紀香の披露宴

何と、関西圏で40パーセント超。関東でも24パーセントだそうだ。
何だ、そりゃ。
藤原紀香は終わってしまった女優というか、タレントを使い果たした人じゃなかろうかと思っていたのだが、2流お笑い芸人といっしょになって復活というのか、何というのか時の人になってしまった。それでも、使い果たされたタレントが復活するわけもないのだが、そんな人たちの披露宴を一体どんなモチベーションで眺めているのだろう。この頃のテレビの姿である、単純なわかりやすさが数字で見えてきたような気がする。
小倉とか、みのとか、何ともくだらないくらいにわかりやすく、そこに見識も何もなく、まるでちょっとひっかけた親父が焼き鳥をくらって歯にひっかかった皮をしーしーやりながら、駅のホームで若い部下を相手に吐いている正論のようであるし、それ以上もそれ以下の価値もない。たしかに、正論なのだが、で、それを大声で叫んで何をどうしたいのかというくらいで、知的レベル1.5倍くらいのうまい場所をついているので多くの人が理解しやすく、それで首肯しやすくもある、っていうものなんだが、披露宴の数字はそれ以上にわからない。
ボクも鈍くなった。世間の関心を掴めなくなったらしい。
感動、感動、感動、感動。
ただ、順位も何もなく目の前を走るF1に、ただ、飛んできた打球を処理して一塁に投げる二岡に、肌を紅くしてチョップを放つ小橋に、そうしたものに寄せる感動とはどうやら少し質が違うらしいことだけははっきりしている。
その感動は、楽天が中日に勝てるはずがないという子どもの言い分に根拠がよく似ている。