ドルフィーにちなんだわけではないが

町内会長に代わって、先週の日曜日にはいろいろ仕事をした。そもそもボクら位の町内会長はいくらもいるので、ちゃんと出来なくっちゃいけないのだ。
お祭りの補導業務は久しぶりだったが、お祭りの焦点が少し離れたため、近所の小学校が余計に暗くなってしまって少々心配。高校を卒業したばかりの女子が地べたに座って酒盛りをしていた。ほぼ女子ばかりである。元気なのは女の子か。
夜店の数が少なくなったと嘆く声がたくさん出ていたが、あんな世界は構造不況業種である。なのに誰も支援してくれない。リンゴが落ちたというのでお金がもらえたり、立派な箱物を建ててもらったりできないわけで自助努力以外にないばかりか、基本的になつかしがられても尊敬されていない職業に、そんな繁栄なんかあるものか。そのうえ、なんやかやと制限を加えて、やれ制服着て行けだの、夜遅くならないうちに帰れだの、無駄遣いするなだの、基本、祭りの原則を逸脱した的はずれのアプローチが、結局、まつりという習俗から子どもたちを遠ざける決定的なやくわりを果たして、まつりそのものを衰退させている。
考えてみるがいい。六本木ヒルズ、お台場、表参道ヒルズだって、何があるのかと言えば、ただの商店。夜店縁日のにぎわいといっしょだ。そのうえ、文化的な背景がそれほど必要なわけではない。縁日などなくても盛り上がるわけで、そのことを是として、こちらを非とするのでは地域社会を崩壊に導いているのは彼らの仕事とさえ言ってやりたい。
祭りにはハレの服を着るのである。本来、ハレの服である制服を日常化してその価値を貶めたのは誰だ。義務教育で制服なんてものをわざわざ持ち出した。逸脱監視だとの指摘もある。
夜遅いのは祭りの特徴である。神は日常の時間から外れてふるまい、それを寿ぐのである。当たり前だ。そのへんのスーパーでさえ開いている時代に、とっとと帰れは余計なお世話である。大体、町の祭りに、町のエリアを超えた連中がああだこうだと口を突っ込むのが気に入らない。この旧市街の祭りなのだ。そこらの在所の御輿の担ぎ方が悪いと文句を言ったことなどないぞ、ボクらは。風の盆がよくて、ボクらの祭りではいけない理由がぴんとこない。
無駄遣いも当然の責務である。これはポトラッチである。過剰の蕩尽なのだ。使わねばならない。そのことで社会のエントロピーを食い尽くし、新たな再生につなげるのだ。それをしないからどんどん衰退していく。祭りとは何なのか考えて欲しいものだ。
などと内心の沸き立つものをにこやかに抑えて、クレープを土産に帰ろうとしたら町内会長。心配で様子を聞きにきたという。ありがとうございます。何とかなりました。
で、そのままジャズを流す店へ。大音量でいろんなものを聞かされる。ボクはそこにあるドルフィーが聞きたいのですが、と言いたかったが、どうにも言い出せなかった。また、ビールを飲むと腹が冷えてくるので、そのあたりでも泡盛を欲していたが、とにかく、ジャズの空気のなかにあるのはとても気持ちのよいものである。
店にはウッドベースが置かれていて、ちょっとだけミンガスみたいにびろびろと鳴らすと得も言われぬ響き。ベースやりたかったなあ。手に入らなかったもの、そんな楽器。
やっぱり、ソプラノサックスを買おう、などと決心して、家でネットを眺めていたら、クロマチックハーモニカがいいなあと思い出し、今、のりさんに借りたドルフィーを聞いていたら、やっぱり、いっぱいCD買って聞く方がいいかなと思い出した。
ジャズ好きってけっこう勝手な人が多いんだが、みんなが揃っているっていうレベルの秩序じゃなくて、ベクトルの統合とでもいうのか、もう少しメタレベルでの調和を模索している、その模索の方向が擦り合ってくる楽しさってのがあって、そんなところでも、いいものなのだなあと思う。
うちの町は、細川嘉六の出身地である。やはり、権威から遠ざかりつつも、調和的な社会を目指す志があるようだ。残念ながらお祭りの方は、制服姿のしっかりした中学生にすっかり景観を壊されてしまって、幾久しい。