大韓航空機爆破事件

騒然とした時代だった。
ボクらがまだ子どもだった頃、思想が沸騰していた。今から思えば沸騰していたのはやり場のないエネルギーだったのかも知れないが、体制と権威を無化してしまうさまざまな合法的、非合法的試みが横行していた。
ボクは1962年の生まれなので、その多くは時代の雰囲気しかわからないが、それでも自宅に集まる父の友人たちや仲間、同僚のことばからモザイクをかき集め、ボクなりの時代観を形成していた。その後、モザイクの解像度を上げるべく本を読み、話を聞き、ボクらの時代につながるものを探した。ちょうど、自宅を離れて一人暮らしをする頃*1には、ボクらが間に合わなかった時代をほんの少しだけ見通せるようになっていた。
ボクの町は、横浜事件につながるいわゆる泊事件の舞台である。国際社会学者と呼ばれる人がこの町で生まれ育ち、やがて、大きな覇権を描いている国の大きな権力にとって邪魔だと思われる存在になっていったことに、その思想の是非はともかくとして、誇りをもっていた。彼がそうした人格を得るには、この町の風土は欠かせないと考えていて、そのことはまるで町が抱える遺伝子のようにきっとボクらにも伝播していると信じていたし、また、さまざまな出来事がそのようなものの連関にとらえることが可能だった。
そういうボクがテロを考えるとき、テロとは何との戦いなのかと問うことになる。国家との戦いだとすれば、それはレジスタンスだし、アリの一穴を信じるアクションのひとつでしかない。その行いが何につながるのだろう。経験と思索に不足するボクは、といっても、小学生のボクだが、直接的な結果だけを物事の帰結として捉えてしまっていた。
20年前のテロのなかで生じていたドラマが今夜放送されていた。報道でしか知り得ないものの背後に、まさしく人間の意志が介在し、事件も、その事件の解明も、また同様に強固な意志によって遂行されていることに、いよいよ戦いの構図をもう何回も考えたことだが、そのことを繰り返して問いかけなくてはならない。
金賢姫がボクと同級生だとわかった。いや、しかし、それも本当のところは何もわからぬ。その名前さえ本当のものかどうかはわからないのだ。
目に見えるものと見えぬもの。おそらく、後者が圧倒的に大きな積分値を有している。ボクらはその見えぬものと向き合う覚悟だけでも持ち得なくてはならないのに、今、社会は見えるものだけに結論を与える時代になりつつある。
20年とは、そのくらいの時間であり、長男が成人する時間である。その間、わかったことの数だけ、わからないこと、問いかけるべきことが増大している。

*1:厳密には一人暮らしという寂寥感はなかったが