渋さ知らズ

本を借りた。
長男の大学で借りてきたらしい。

渋さ知らズ

渋さ知らズ

これはなかなかいいや。ボクが学生時代を過ごした80年代前半は、すっかり学生運動の熱波も冷めてしまい、さらに、バブル前夜。基本的に貧乏だった学生の一部がプチブル化し、アングラがサブカルチャーとか称して、メインカルチャー並みに幅を利かせ始めた時分だった。戦っていた先輩たちからは彼らのトラウマの捌け口になるし、すでにどこか突き抜けてしまったやがて「新人類」と呼ばれる少し下の後輩たちからは「時代遅れ」のナウくない人たちってことで、これまたけむたがられていた。そういうボクらがカルチャーに全面対決も全面降伏もしないで、ましてやレジスタンスの感傷も隠し通したままで権威にまつろうことなく、逆らうことなく、距離感を保ったままで、カルチャーの表面に巣くうしたり顔を密かに笑い飛ばしてサブカルの地下帝国を築いていた。大学の講義はもはやボクを奮い立たせることもなく、実利を求め、就職に有利な戦略を張り巡らす同級生に意図的に視野から蹴散らして、古本屋の、あるいは、ボクが大好きだったなかだ山室店の特定本棚の前に立つのであった。思想は丹念に味わわなければ、知識に落ち込んでしまう。ボクはゆっくりと、かつ、焦り、急ぎつつ思索を巡らしていたのだ。
神通大橋の下で延々とアルトサックスを吹いた。ビールは高くて飲めない。トリスか、一升瓶である。ちびりと舌を湿らせると、ボクは皮膚の裏側に回り込むように、ことばと音と風景に落ち込んでいった。
さういふ時代だった。
その空気を思い出させる本である。
やあ、OTOさんの名前がでているぢゃないか。
昨晩のパーソナリティでも、「ボクが自然に向き合うスタンスは渋さと同じである」と吠えた。雑多にして個別、混沌にして独立。さういふものをボクは好みたい。