アーサー・C・クラーク

幼年期の終わり」が最も印象的な作品。無論、「2001年」も傑作だが、「幼年期の終わり」とリンクさせて読むといっそう味わい深い。
高校生の頃、クラークがもう引退するとしてスリランカで書いていた「楽園の泉」が「SFマガジン」に連載されていた記憶がある。一気に読みたい方のボクは細切れの連載には手を付けず、連載が終了するとバックナンバーを探るという奇妙な習性があった。だが、それほど興味もなく、結局読まなかった。興味を惹かれたのはむしろ、「楽園の泉」を書き上げたクラークのインタビューである。
年をとってきてタイプライターのキーを叩くことがとても面倒になっていて構想はあっても物語に立ち向かうにはその労力に見合った体力がないと話し、しかし、ワードプロセッサーを使うことで多くの面倒な労力から解放され、遠く離れたニューヨークの編集者とも電子メールの恩恵で、やっかいな打ち合わせで電話機を握りしめることもなくなった。そんな話だった。
あるいは、電子メールの部分はファクシミリかもしれない。時期的には、まだインターネットの開放は十年も先のことで、いくつかのネットワークが機能していただけだから、ボクの記憶違いかも知れない。しかし、ワードプロセッサーは、おそらくアップル製のコンピュータ上で動作するもので、2eあたりの筐体とグリーンディスプレイか、オレンジディスプレイが写真に写り込んでいたか。
伊丹十三の映画「たんぽぽ」は伊丹の別荘を使って撮影されているが、山崎努のわきに富士通製のワープロが写っていたし、最初の日本語ワープロはすっかり安部公房の著作の原動力になったという時代の雰囲気は、電子デバイスがボクらの表現にやがて影響を強くしてくる予感を現実味のあるものに思わせていた。
だが、1999年の「ロケットの夏」に火星探査船が飛ぶこともなく*1、2001年木星軌道上の黒い物体に向けて探査船が向かうこともまだあったとは聞いていない。2010年に木星周回軌道上にぐるぐる回り続ける宇宙船に向けての救出船にアップル2cにプラズマ液晶付けたマシンをビーチでいじるようなフロイド博士が乗り込んでいることもない。ってことは、月面でニコン*2が記念撮影に使われてもないし、チャンドラ博士はまだHAL*3の教育を始めていないのかもしれないな。
クラークが描いた物語は明らかにボクらの歴史でした。合掌。

*1:火星人ははしかの被害から免れているようだ

*2:そのナイコンにジャニがキスしていようとは。末世である。法難である。

*3:もっとも、ボクはチャンドラシリーズのノートパソコンを持っているし、ボクのマシンはその2代目に当たるクラビウスである