歓喜の歌

志の輔原作のドラマ化。同じものが映画にもなっているらしい。
おもしろかったのだが、気になる箇所が。
コーラスグループで活動する人々の背景を描いていくのだが、お定まりのように、病気や生き甲斐が並んでくるのだが、ひとつひっかかった。
あるお母さんが子どもとの時間を犠牲にしてコーラスに参加している。お母さんの言い方はこうだ。あなたも大好きだけとコーラスも好き。あなたのお母さん(ママだったかもしれない)にも、お母さんだけの時間が欲しい。正確でないと思うけれど、こんな感じだ。
最近、こういうのが多い。子どもに費やす時間がつらく煩わしいのもわかる。それはよおくわかる。子どもに時間が取られて自分を見失っているような気になるのもわかる。しかし、その子があるということを含んだ「わたし」であって、どこかでそれを分別したり、引き裂いたりできると思うのは虚偽だ。ありえない。ありえないのにそのことを論理的に子どもにわかってもらおうとする態度や、発表会の様子で子どもの不安を払拭できるわけもない。
そういう活動をしていることをどうこういうわけではなく、そのような言われ方、突き放され方をした子どもはつらかろうと思うのだ。
もっとも、ドラマの演出だろうが。