納棺師という職業

今朝の朝日新聞で、僧侶の方が納棺というのは家族が行うものだったと投稿しておられた。そのとおりなのだ。青木新門の「納棺夫日記」にもあそのあたりの経緯が書かれていて、講演でもそうした話を聞いた。実際、納棺のときには、ユガンといって家族が亡くなった人を清める作業を入れてある。かつての習俗の名残だそうだ。
今回の映画が絶賛されるたびに、そのあたりの文化的な背景がないがしろにされてしまうことを恐れている。海外の人にはまるでそれが日本の習俗のように感じられたかもしれないが、実はほんの数十年の職業的な分化によって生じた役割であることをもとに、亡くなった方への思い、遺族の心情、切ない場所におけるそうしたものが交錯した場所に立っていることへの賛辞としなければならないのだろう。いや、映画はきっとそういうものになっていると思っているけれども。
山河に立つ。なぜか、青木新門さんの本を読んで出てきたことば。

納棺夫日記 (文春文庫)

納棺夫日記 (文春文庫)

定本納棺夫日記

定本納棺夫日記

この本を出版した桂書房の方もすごい人だ。地方出版とはこういうものかと、若い頃、思わせられた。その方が、不肖ボクの名前を口にされたことがあると思い出して、恐縮している。もう15年、20年近くになるか。若かった。どこまでも書ける気がしたが、今読み返せるわずかなものを見ても、何を気張ってと思える。きっと10年後、同じように思えるのだろう。それは成長ということか、衰弱かわからないが、変化であることは間違いない。変われる間は、元気だということだ。