安曇野・松本

20年以上も前に彼女とふらりと出かけた松本の旅。連休の予定がなく、ふらっと出かけることになった。
思えば、この十数年間は必ず野球の試合などが入っていてオフになる休日などなかった。どうして今まで行かなかったのかなと考えたが、いや、そういう休日の使い方は、ようやくこの連休から生まれたのであった。
白馬まではちょくちょく行くが、その南となるとなかなか足が向かない。すべてニレ池に足止めされているわけだ。
自宅を出たのは午前9時。呑気なものだ。おそらく大町でお昼頃か。白馬では快晴。山々に誘われるが、こういう日にはどこでも混雑だろうからと振り切る。
仁科三湖でも釣り師の姿が見えそそられるが、振り切る。誘惑に負けた場合を想定して釣り道具も積んではいるが。
大町の山岳博物館に着く。たいした展示ではないのだが、あの頃にそそられなかったいくつもの資料に興味が向く。全体に展示の更新が今ひとつなのだが、それでも、当時はよく考えなかった山案内人の歴史などに随分心が躍る。なかでも、鬼サや曽根原文平が使っていたという道具には興奮する。ここも黒部なのだ。



黒部の職漁師は毛針使いで知られる。獰猛で愚鈍なイワナにはもってこいの釣法なのだろう。たんととっては焼きがらしにして一斗缶で里に下ろしたそうだ。この焼きがらしがまたうまい。以前に、利賀少年自然の家でよくそういうことを知っている人と実際にやってみた。イワナの脂のせいなのか、甘みがあって香ばしい、イワナの塩焼きとは全く別の食べ物であった記憶がある。その毛針も展示してある。曽根原文平のものなのか、どうか。全体に茶色。万能色という気はする。ナイロンが普及していない時期なので、ハリスや馬素も気になるがガラスの向こうで手が届かない。
有名な「氷壁」のナイロンザイルも、本物が展示してある。

人は経験と知識で随分とものの見え方が変わってくると言う。自分自身にもそのような瞬間があって、この20年間をそれほど無駄に過ごしてきたわけではないのだなと実感。秋晴れに白馬まで続く稜線にも深く感激。
ちょうどお昼時になったので食事の場所を探す。国道やオリンピック道路から少し外れているので、適当な場所が見つからない。ナチュラルヒーリングガーデンというのが見つかり入ってみる。駐車場から花々の芳香が漂う場所だったが、食事はないとのこと。拾ったいくつかのパンフレットをもとにある場所を決めてナビに登録。これが不思議なことに奇妙なナビゲーションをする。行き先もあっているし、ちゃんと表示もされているのに、未舗装の原野の中をただただ迷わせる。前にもこういうことがあった。途中で途切れている階段で「目的地周辺です」とやられた。実際には、高低差20mの頭上に目的地があったのだ。だけど、今回は激しい。
それであきらめて途中で見かけたレストランへ。パスタとメインディッシュを含んだ2種類のランチしかないお店。随分繁盛しているようで、予約なしだったがカウンターにいれてもらった。サラダ、パスタ、デザート、コーヒーと続くがどれも絶品。とてもお安い値段で心配になるくらいだ。実は、20年前にもこういう経験があって、夕食を食べ損ねて偶然訪ねたお店がハンバーグのおいしいお店で、そのお店がどうなっているかを見たいというのも今回の目的の一つ。こうやって偶然に出会ったお店というのも大切な思い出になる。
ボクは好物のナスのトマトソースにしたが、そこに出てきたのは辛いオリーブオイル。いわば、オリーブオイルのラー油。辛いですよと言われたが、かまわずたくさん使ってみた。なるほど、うまいものだな。このお店ではバケットに塗るエキストラバージンもオプションで付けてくれる。安曇野ならではなのだろうとも思うが、店主のゆったりと無駄のない仕事ぶりに随分癒されて松本に向かう。お店の前からはるかに白馬の頂が見えた。こういう連なりを、ボクらは日常にもたない。


大王わさび園も寄ろうかと考えたが、まったく入り込む隙がない。それは松本城も同じで、あと数百メートルから全く動けなくなった。適当にエスケープすると運良く駐車場があってそこから歩いて行くことに。松本市街ってもう少ししっとりした感じだったようだが、当時営業していたようなお店がずいぶんなくなっている。それはどこだってそうだ。松本城はものすごい人で入場制限がかかっている。絵はがきのような写真を何枚か撮って、開智学校に向かう。

開智学校の展示物がすっかり変わっていて、何だか妙にがっかりした。信濃教育会の資料などもあって、教育資料の展示館という印象を持っていたが、すっかりとレトロな建物の展示に変わっている。これも世情だし、人の興味と展示物のミスマッチがどこかにあったのだろう。確かに多くの人々は、木造の洋風建築に感心している。学校教育の展示としてはどこか間抜けで、もう少し手間と工夫を惜しむなと言いたいくらいだ。ダルマストーブの展示など、どうして煙突を付けないのだろう。でないと、全く飾り物でしかない。飾り物のつもりなんだろうけれど。

それでも古い教科書などがあって、明治時代の地理の教科書に、ちょうど越後、越中の山々を紹介していて、地元の山々について書かれたページが開かれていた。こういうところで郷土の姿に出会うとうれしい。

隣に、司祭館という洋館があってそこに古い板ガラスがはめ込まれていた。昔は手仕事で延ばしていたので微妙に波が入っている。デジカメではなかなか再現は難しいが撮ってみた。案外そういうものが時代をちゃんと認識させるものなのだが、展示している側は気づかずに新しい見栄えのものに変えてしまうこともままある。ある廃校になった木造校舎の雑庫に大量のそうした板ガラスがあったのだが、解体の時に誰にも気づかれずに他の芥といっしょに処理されたらしい。きっとボクにも気づかない貴重な価値はそこここに眠っているのだろう。眼は愚かだ。真実の姿をなかなか見通せない。

松本神社に参拝してからふらふらと歩くが、どこに松本のいいところが眠っているのか、特に町通りを探したいのだが、うまく見つからない。観光案内のパンフレットでもよくわからず、彼女が高いところから町を見たいというので、かつて宿泊場所も見つからずクルマで野営したアルプス公園に向かう。折しも市街は夕方の渋滞。それでも日没には間に合う感じでアルプス公園への坂道に入れた。
すぐに目に飛び込んできたのは、かつてハンバーグを食した高台のレストラン。あのときは真っ暗で松本の町が湖に落ちたきら星に見えた。どうしても食べるものが見つからずレストランの名前で飛び込んではみたものの全く不相応な店で、コースなどもあったがそんなものなどとても無理で単品のハンバーグを頼んだが、これが絶品。ハンバーグとはこういう料理だったのかと、今まで食べてきた雁もどきにケチャップかけたようなものを侮蔑した。あのとき、まだボクたちはとても若くて、将来の希望とかいうものよりも毎日の不安の方が大きくて、それでいて楽天的に過ごしていた季節だった。行き当たりばったりの旅で出会ったそのお店に、何か大切なものの固まりを教えてもらったような気がしていたのだ。今は、インド料理屋さんになっていた。時代は移ろう。だけど、あのときの気持ちは決して忘れない。どこにあったかも忘れていたけれど、またこうして巡り会うことができるんだ。
アルプス公園は随分様変わりしていたが、ボクらがクルマで眠った場所はよくわかった。ちょうどこの日は大きなイベントがあったらしく、県外ナンバーであふれた市街とは裏腹に、松本ナンバーのクルマでいっぱいだった様子がわかる。ここから松本平がよく見える。どこを向いても山。その中央に広がる豊かな広がりは、なるほどここを信濃の中心にした心情を思いしれる。ここはその松本平に突き出した丘のようだ。思いの外広い公園でどうやら動物園まであるようだ。当時はまだ造成中だったのだろう。変わらぬものと移りゆく風景を味わった。

ここまできたのだからと、浅間温泉*1に入ることにする。温泉会館というのを探す。今ではどこでもこういう施設がある。もともと外湯も数カ所あったようなのだが、たくさんの人を集めるには場所が良くないのかもしれない。町内ごとに共同浴場もあるという。
温泉は、アルカリ性単純泉。加温、加水なのだが、1000年以上の伝統を誇るだけに、さすがに柔らかくよく人を包み込むお湯である。浅間の名前は、インドネシアポリネシアか何かのことばで湯気のことを「アサ」とかいうらしいと書かれていたが、活火山の浅間山もあるので、インドネシアとか何とか言わなくてもそういう自噴するものを浅間と呼んだらしいで十分だと思うのだが、どこかの変な知恵者に毒されたかな。1000年前の文献に浅間温泉とあって、それがポリネシア語だとするとなかなか歴史は奥深い。加水は湯量が足りないためとボールペンで書き足されていたが、新規の施設故なのか、全体にそうなのかはよくわからない。
温泉街自体はどこでもそうだが、あまり活気のあるものではないようだ。休業中の宿もある。その一つがウエストンホテルで、日本の近代山岳を開いた人物の名前を冠した宿さえ立ち行かなくなっているのが現実だ。「白線流し」の舞台ともなった大正時代のお宿も現存するが、今だからこそ、そういうものに価値が出るように思えてならないのだが、方々のホテルや旅館は安っぽい近代和風に衣替えしていく。あのあたりのメンタリティーに疑いをもつことはないのだろうか。不便を楽しむというのか、レトロとは少し違う部分で、手や足を使って暮らす、立ち振る舞うということをホスピタリティに転じる手がありそうなものだ。
そんなことを考えつつ、畳の休憩所で体を伸ばす。気持ちいい。自宅には畳が4枚半しかなく、そのうち2枚半をベットとタンスが覆っている。こういうのも悪くない。
夕食の時刻になっている。どうせならと夜の松本城へ。昼間の喧噪とは裏腹に静かになった松本城界隈を見たいという気持ちもあった。到着したところにそば庄というお店があり、面倒なのでそこで済ませることにする。このあたりはどこで食べても適当にうまい。冷やしたぬきを食べる。この頃、どの店でもキリンのフリーが目立つ。クルマで来る人が遠慮なく飲めるものね。これはちょっとした事件なのかもしれない。ああいうテイストがもしかするとある部分で定着してしまう。
たとえば、今の発泡酒とか第3のビールという広がりは、図らずもスーパードライのテイストが一般化したために起きている。特にビール独特の苦味を避けるように爽快感を演出し、それが支持されていたのがこの20年。ビールとはそういうものという感覚があったところへ同じテイストの飲み物が安価で出てくる。流れはそちらに向かい、スーパードライが低落し始めるのは目に見えていた。この頃苦味のあるビールの復刻が相次いでいるのも、次のテイストを探しているせいなのだと思っていた。
そこへ、ノンアルコールビールである。あの奇妙な甘ったるさ。ビールの飲み残しにサイダー入れたような後味の悪さが一般化することなどあり得ないように思うのだが、飲んでも運転できることがそれを凌駕するのだろうか。先日の親戚の法事でも出てきた。そばには合わないと思うのだが、ビールよりも張り紙が多かった。

そばのあと夜の松本城。どこかのカップルの写真を撮ってあげた。いいな。楽しそうだな。あんな風にはしゃいだことはなかったかもな。まだまだ、これから。
走り慣れた白馬まで約1時間半。そこからまた1時間半。今日もボクのクルマはしっかりと走ってくれた。でも、渋滞などあったせいか随分疲れたらしく到着後ベットに入ると彼女と余韻を楽しむまもなく眠ってしまった。

*1:浅間山の麓と勘違いされるため、松本あさま温泉と表記することもあるようだ。