洗練されたつもりで痛いNHK

このところNHKを見ることが少なくなったなあと。
ドラマは何とか見ているし、ドキュメンタリーもおもしろいものが多い。ある番組で「あいつら、北極まで1年かかってシロクマの出産を撮りに行く」と揶揄されているが、なかなか時間と手間、無駄と無理のかかった番組作りは国民放送局の思い上がりがないとできないものである。とても、NHKらしい。今時、数年がかりで「坂の上の雲」なんていう、今最も次だからかけ離れた作品を撮ろうというセンスも、なかなかNHKらしい。
今、インフルエンザの余波でいつもの部屋と離れてラジオを聞いているが、牧しんじがウクレレ弾いているのもNHKらしくて好きだあ。
何だけれど、最近、NHKらしくないと言われる番組が多くなって、ちょっと古い言い方だが、POPな作りなのだ。ノリもそう。POPだというだけでかなり痛いのだが、民放の深夜番組みたいに作ったり、ひょうきん族をリメイクしたような番組を堂々と看板にしていたりするあたりは、やっている方が楽しくって仕方がないのだけれど、何がおもしろいのか、そこまで愉快に騒げるのか、怒りさえ感じる女子中学生のキャンプファイヤーの出し物なみなのだ。
漫画ネタのやつなんか、どうにも「いい」としか言わない安っぽい娼婦のように表現力が拙い。聞いていていらいらするほどアプローチが弱くて、少し好みの作家のことをそうしていじくられると、愛娘を鯖に突かれているような気持ちになってしまう。鯵ほどに弱くもなく、シマコダイのように激しくもない。サヨリのように突くぞという姿態にも乏しい。
NHKなんかはもう、本当に温泉場の演芸くらいの鉄板でいいじゃないか。何を気取っているんだろう。10年遅れ、20年遅れの気取り具合。18のあんちゃんがフーガで黒い女の子を峠道に誘うようなものだ。洗練されていると思い込んでいるその気持ちがつらく、切なく、激しく痛い。
しかし、そうした中にも佳作はあるもので、適当に作っている「ブラタモリ」はいい。鶴瓶がどっかの町で適当にひとんちに上がり込んで飯食べさせてもらっている番組の路上版。東京という混沌だからできると思えるのだが、あれをぜひ地方の田舎道でやって欲しい。タモリらしくはないと思いながらも、田舎の風景の見つめ方を一変させる可能性を秘めている。
もっとも、その番組とて、チャンネル変えた瞬間に映っていれば見る程度。「てれびふぁそらしど」にかじりついていた頃とは違う。亡くなった頼近美津子さんや加賀美幸子さんが有名になった番組だが、そのなかでひっそりとにこやかに微笑んでいらした古藤田京子さんはどうしていらっしゃるだろう。*1元祖癒し系であったと、ボクは信じて疑わない。NHKアナはそこから、広瀬久美子アナ*2の呪縛を脱したのである。
何か急に時間ができたので、どーでもいいことばかりを書いています。いつもか。
あ、爆問の番組もおもしろぞ。決して楽しみに待っていたりはしないが。

*1:どうも、NHKにおられるようだ

*2:実におもしろい人なのだが、テレビで座っていれば癒されるタイプとは思えない典型的なNHK女子アナ。この人のラジオは本当に愉快