普天間の議論

与党と野党の違いをはっきりと浮き彫りにする予算委員会
昨晩の報道ステーションでは、堀田力氏が閣内不一致とも批判される普天間の迷走について、議論が表に出てくるのは大変いいことでそのために国会をしているわけだから、こうやって問題があることが顕在化していること自体に価値を置けばいいという感じの発言をしていた。
後期高齢者制度は施行になって、正確に言えば、施行されてから急に話題になった。悪法ではないかというのだ。揮発税暫定税率の更新もそうだった。野党が騒いだものは割に焦点化するが、そうでないものは問題点が国民に示されることもなく成立していることも少なくない。普天間の問題にしても様々な曲折がありながらも、ここまでの議論にはならなかった。議論になったのは、見直すと言うことを党是として政権を持ったからである。すでに半ば決着していた問題なので、これをいったん見直すとなれば迷走するのは当然で、政権発足から100日も経ないで展開するようなものではない。むしろ、これだけ騒がれているのは、自民党がその問題についてのブレの振幅を政争の道具に仕立てたからで、個人的な資金管理の問題で引きずり下ろした細川政権以来の手法と何ら変わりない。
自民党の質問は、主に、県外、国外ができるのかという部分に集中しており、沖縄にとってどうすべきかを示さないままに問い続けている。これは、日本の国会が質問者と答弁者に分かれ、答弁者が逆に質問を返すことができない仕組みになっているからで、その部分をよく知っている野党が巧みに利用してきた論理ゲームのようなものだ。自民党は、自分たちはこうすべきであると考えていることを示さなくてもかまわないのだ。
はっきりと馬脚が現れたのが「太田総理」での山本一太。この人こそ信用ならない。同じ番組の中で当時の阿部総裁候補を下手褒めに褒めていた姿を思い出す。あれからどれ程経ったのだろうか。舌の根の乾く間もなく彼は毀誉褒貶を繰り返している。
その山本が、普天間は絶対に県外に移転することはできないんですから民主党はぶれていると言い放った。そうじゃない可能性を探ろうとしているものなのに、それしか選択肢はないと言い切り、ぶれているのはできっこないことを議論しているからだという。それは政治の発言ではない。できっこない、それしかないものに収斂していく政治力学から遠ざかろうとしたのが、今回の政治選択だったのだろう。あれだけ露出度の高い若手がそんなことさえ認識できないところに、自民党という政治へ振り子が戻ることはないと確信できた。
だから、民主党でいいかとなると、またそこには様々な問題がある。
ボク自身が最も気になっているのは、一つは国家戦略局が機能していないこと、二つ目には、行政刷新会議のめざましい動きの中で、仙石・枝野という2人の動きを党本部から牽制しようとする動きが顕著なこと。国会の論戦も、スターばかりが登場して、以前のような新人議員のデビュー戦などあてがう余裕がないほどに、政治とは国会であるという民主主義の基本を思い出させてくれるような有様に、党のどこか中心部から遠目で目を細くして差配する人が力を持ち続ける限り、やがて、また新しい混乱がやってくる。その混乱が、次の時代を生むための試金石ならいいのだが、社会を揺るがす新しい混迷への入り口だとすると、主権者であるボクら市民の役割は少なくない。
というのは、遠い中央政治は劇的な変化を進めているのに、ボクらの生活に隣している政治が全く以前のままなのだ。その部分をボクは真のねじれと感じている。地方議会の与党と野党さえ大きくずれている現状で、政治のイニシアティブを握っているのは誰なのか。それが主権者であることを再確認する道筋は何なのか、普天間のような問題を考えながら、何がふさわしいかではなく、どうしてぶれるんだいう議論に終始する論戦に、実は辟易している。