感覚のずれ

トヨタプリウスでABS制御の関係で一瞬ブレーキが利かなくなった感覚になるという。
トヨタの説明では、ドライバーの感覚で決して欠陥やリコールの対象ではないといい、そうでありながら、ABSの制御プログラムを変更していた。こういう感覚でクルマを作っていたのかと、ABSどころか、ラーメンや以下の説明にあきれかえる。「使う側が決める話」と切り捨てた前原大臣が全く正論だろう。
クルマに操る楽しさとか、走る喜びよりも環境とか、燃費とか、販売額とか、価格とか、どこか運転する人の感覚から離れたパラメーターでの価値観を広げていたのはこいつらだなとようやく気付いた。
走りがどうのこうのというCMも少なくなった。広い、豪華、安い、エコ。反発し対立する売り文句を当たり前のように飲み込んでいる消費者も洗脳されていたわけだ。
高速道路無料化の議論があって、そちらでも奇妙な論理が先行している。
無料化すると高速にクルマが溢れて排気ガスで温暖化が加速する。
クルマをもっていないので、持っている特定の人に税金を使われるのは不公平。
いずれもおかしさに気付かない。
前者は、まず、動いているクルマが高速道路にシフトするだけなら排出されるガスの量は変化がない。むしろ、一般道とのシェアリングで効率的になるなら温暖化にはメリットとなる。しかし、行楽で遠出するとなれば、その分の足は増えるが、現在のような1回1000円のやり方は、途中下車を抑制するため、どうしても無理をして遠出をしている可能性がある。無料化によって、適正なトラフィックに落ち着くはずである。
後者では、無料化によってむしろ大きなメリットを享受するのは物流である。今の1000円の制度では、この国の多くの物流を担っているトラック輸送は対象外。一般道への負担も大きい物流を高速道路にシフトすることによって高速道路の有効利用と物流の安定を図ることも可能になる。それは中小の物流業界にもメリットは大きい。そして、何よりも重要なのは、その物流の恩恵はおそらく国民のだれもが享受している。
また、1万円のブランドエコバッグみたいなことになるのか、あるいは、割り箸不要論になるのか、システムとしての社会をあまりに無視した乱暴な議論は、きっと教育にあるんだろうと悔しい思いをしている。