電車撮影

バンキシャという番組で児童虐待を扱っていたが、続けて鉄道ファンの話題を扱っていた。
大糸線沿線はすごいことになっている。今から50年近くも前から走っている気動車が単線未電化区間を走っている。谷間の風景や雪景色、また、間もなくダイヤ改正で廃止される車両だかなんだかわからないけれど、沿線にはたくさんのカメラが並ぶ。ボクもスキーや温泉で毎週のように大糸線沿線に行くのだが、糸魚川から小谷にかけて、狭いところに折り重なるように愛好家が立っている。地域がそうやって話題になるのはけっこうなことだけど、中には軌道の中に入り込む人もあるようで、番組でも問題にしていた。
見ると電車もけっこう乗り込んでいる人が多い。糸魚川の煉瓦倉庫もいよいよ取り壊しだそうだ。懐かしさで乗車してみる人もあるのだろう。
殺気立っている空気まで伝わることがある風景なのだが、その鉄道写真を撮り、それがどういう風に価値につながるのだろう。根知駅の手前の橋を渡るディーゼル車の背景に雨飾山なんてのは、ボクも部屋に飾りたいのだが、あの熱狂ぶりはちょっとそういうものから飛躍しているような気もする。何かマーケットでも成立しているのかと勘ぐりたくなる。
番組では、ボクも世話になった「北陸」や「能登」の出発ホームの混雑ぶりを紹介していた。上野駅のひっそりとした場所にある。一度案内表示がなかったのでホームを見失い遅れそうになったことがある。東京で仕事を済ませ、プロ野球のナイターを観戦してこの夜行に乗り込み、そのまま出勤できたのだ。貴重とかどうとかいうよりも、そういうスタイルがもうできなくなってしまうことに、時代のトレンドを感じている。もうカレントにないんだなあ。
ちなみに。
能登は現在はボンネット特急電車型の夜行急行。たしか、これしかないとのことだ。昔は、寝台列車だったんだが、古い特急車両を使った夜行電車になった。以前の車両では3段の寝台車があって、天井が高いので3段目をよく使った。着替えできるほどではなく、たいてい駅の便所で着替えた。上野には朝方着くが、当時はマクドも24時間でなかったので、食べ物を探すのに意外に面倒が多かった。
北陸はブルートレイン型。個室のB寝台しか乗ったことがないが、東京フリー切符で乗車できるので重宝した。客車の牽引型は静かで寝心地もいい。自宅に帰る場合には、糸魚川で先発していた能登に乗り換える。どこかで抜いているはずだが、それがわからない。
ほかにも、新潟大阪間を走る「きたぐに」もよく使った。魚津駅が2時30分くらいなので、待合室で眠りこけると乗り過ごしてしまう。それが何より辛かった。これも、そろそろの印象がある。
もうひとつ。大糸線糸魚川松本間を全面開通させるのは、昭和41年頃。案外最近である。それから、地元の駅ができて100年になる。*1当時東京から米原を経由してこの駅で終着だった。明治43年のことだ。糸魚川直江津の間が開通するのは大正2年になる。最後は、糸魚川と青海の間であった。

*1:記念行事くらいしないと