祖父のスキー板

画像はあるんだけれども、面倒なのでアップしていませんが、なかなか博物館ものです。
シールもあったらしいが腐って捨てたそうだ。ことによると、本物のシールだったと思う。
悔しいのは、フィットフェルトもあったはずなのだが、もう失われていた。写真には写っているんだが、カンダハールは安くて高性能だったと見えて、当時でも流行り物好きなじいさんは、とっとと人に譲ったのかもしれない。
おかしなもので、手に入れたストックも、生涯ただ一度しか見ていない祖父のスキー姿にちゃんと合うのだ。間違いなく、このストックだった。石附が無くなっているので、何とか再生してみたい。折れたらショックだろうなあ。
1本の板は、銅板で接いである。こういうのを何回か見たことがある。折れやすいということと、それだけ高価だったということだろう。
ある板は明確にエンブレムがある。GOTOとあり、作られた都道府県名がある。サイトで探すが、わからない。まず、そこから探索を初めても良さそうだ。矢印のエンブレムもある。これもきっと国産のメーカーだろうと思う。
倉庫には、HATAスキーのDHヒッコリーと書かれたおそらく合板のグラスソールの板があった。それも興味深い。ほとんどの板はラッカーが塗られ、銀パラを使っている。
とにかく細かい画像を何枚か撮影して、多くの人に聞いて回るしかないが、どうも工房制作らしくもあって、これは芦峅寺あたりで聞き込むのが手始めか。
そんなこと考えていたら、こういうサイトを見つけた。
http://homepage3.nifty.com/skis/ss_i/rekishi.htm
非常に詳しい。スキーは、どうやらレルヒ以前にも持ち込まれていたみたいだな。まあ、そうだろうな。そうでなければ、わざわざ練兵しようという話には発展しない。