金本連続イニング出場

金本の連続イニング出場が途切れた。まるで引退するかのような騒ぎだが、そのような印象さえ残している。
この連続出場の始まりは、前世紀のこと。1998年だそうだ。10年間くらいは金本という人の存在が光っていたが、この2年ほどはそれもどうしたものかと思わせた。阪神のオーダーには、いわゆる生え抜き選手というのが極端に少ない。主力は、移籍組と助っ人ばかりである。しばしば、巨人の引き抜き戦略が批判されるが、むしろ、酷いのは阪神。若手が育たない環境がある。3年ほど前までは、矢野や金本のような移籍組の勢いが若手が入り込めないほどだったためにその弊害も見えなかったが、生え抜きの象徴的な存在の今岡を出し、桧山も今や代打でしかなくなってしまうと、鳥谷程度しか生え抜きの名前を付けられる選手がいない。矢野は怪我、そして、金本も守備が衰えてくると、もうフルイニングにこだわる意味が薄れてきた。
金本の守備の衰えはその捕殺数にはっきり現れている。詳しい数字は思い出せないが、外野手にとってのひとつの誇りである捕殺が、特に昨年から極端に減少してしまっていたのだ。この日が、それでも、まだずいぶん遅くやってきたなと感じると同時に、アスリートとは過酷だと思い知らされた。さすがに前日の送球には、ていたらくを見せつけられた。
今回のことで、歴代の記録が出てくる。衣笠もすごいのだが、やはり、常勝チーム巨人で連続試合出場を続けた松井秀喜の記録は凄い。すべての挙動が曝される巨人で、フルイニング出続けることは手の抜きようがないということで、肉体もさることながら精神的な強さがなければできないことだろう。
実は、松井の気持ちはよくわかる。
こういうことを考えてみるといい。田舎の子どもが夏休みに東京ドームに連れて行ってもらえることになった。巨人戦である。そこには松井がいる。いつも必ずいる。一生に一度しかない野球観戦かも知れないのだ。そこに松井はいなければならない。ホームランを打てば、まさに宝物。そうでなくても、松井を見るだけで、何かが大きく光り、その温かさをいつまでも人生の傍らにおいておけるのだ。田舎の子どもにとって、野球選手、スター選手とはそうでなくてはならない。石川出身の松井にもそういう思いはあるだろうし、長嶋は捨てゲームを作らなかったのも、生涯に一度かも知れないスタンドのファンを知っていたからだろう。捨てゲームを作れば、優勝できる。しかし、目の前のゲームを捨てることは、だれかの気持ちを裏切ることにもなる。それは許されない。果たして、そのことは原にも通じており、勝敗よりもふがいないゲームを最も嫌う指揮官になっている。
記録の中に、愛甲猛の名前があり、そうだったと思い出した。甲子園を沸かせた左腕も、ロッテに入団後は、スター選手にはなれなかったが、中堅プレーヤーとしてそれなりの場所にあった証だろう。こうやって思い出されることがあるから、記録はおもしろい。
さて、金本に戻ろう。
阪神がこれからどうなるか。桜井や浅井が何とかなるのか。一向に花開かない関本は。さらに、間違いなく広島時代以下のパフォーマンスしか残せない新井が、先輩金本の呪縛から逃れて爆発できるのか。できればいい方に。そうでなければ、金本の引退が近くなるとさえ思われる。