違和感

この頃年を取ったせいなのか、即座にそこらのことが理解できないようで、ニュースを聞いていても違和感満載である。
高速道路の料金見直しは、小沢の変節ぶりにもうあきれかえるほかないとしても、世間の掌もひらひら返っている。どこまで行っても1000円という前総理のまるで屋台の売り子のようなかけ声で始まった制度は、車の渋滞を巻き起こし、地球温暖化に貢献するとかいうので、無料になったらもっとひどいことになると、環境おじさん、おばさんたちが口々に叫び、車のない人は優遇されないなどと声高にののしる中高生などもあって、そもそもそれしきで地球がどうなるというほどのことかと思ってみたり、中高生は税金払っていないだろうがなどと心の中でそっとつぶやいて、SUVに乗っているボクなどは肩身の狭い思いをしていたのに、新しい料金体系が出てくると、今度は高いだの、ただにするとか言ってたんじゃないのかなどと、もうどっちが表なのかわからない位に掌は翻る。
結局、理念がないのは大衆の方だろう。これでは政策決定はできない。
何かあると地球だの宇宙だのと大げさな話をもってくるのは、みんなが危険な感じを抱いた宗教団体と同じじゃないか。
宇宙と言えば、山崎直子さん。彼女のフライトにどんな意義があったんだろう。スペースシャトルに乗り込んで、髪の毛逆立てて浴衣着て、ちょっと甘えん坊の娘と交信して。そういうことのために税金使っているという批判の方は案外聞こえてこない。あれこそ、どうでもいいんじゃないか。ISSの運用に1日1億円を費やして、荷物運びに行った人は、地球は美しいと、観光客並みのことばを吐いていた。白いスーツの仕分け人が何も言わないのはどうしてなのか。
徳之島の反対集会。反対の意図はわかったが、一体、どうして反対なのか。なぜ、徳之島ではいけないのか、そういうのが全く見えなかった。感情的な反対なら、どこでも反対だろう。ただ、言いぐさの端々に島の平和を守ろうとか、軍隊の上陸を許さないとかいうことばが現れて、国とか、地球とか、宇宙とか言いながら、結局、ご町内感覚の感情が行動や決定を支配するようなしぐさが見えてくる。地球をだしにして、自分の不満を吐き出して正当化したり、利益誘導しようとする人がいるような感じさえある。平和もその点便利だな。人権とかもそうだ。
マグロが食べられなくなったら困ると平気で話している人がいて、そういう人が鯨を捕って何が悪いと言い出すと、文化のレベルから話が急に食欲になる。最初から食欲ならいいんだけど、アメリカやヨーロッパが散々捕っていて、今更捕るな、食うなはないだろうと反論する。地団駄踏んでいる子どものようだな、まるで。
このところ、森を語るときに木を見ない人が増えている。そんな気がする。結局、宇宙やら地球を持ち出す人は、よくわからない神性をでこの国を語る右翼と何も変わらない。信じちゃいけないと、ボク自身の何かが警告している違和感なら、せいぜい受け入れるとしよう。