にぎわい

地方紙というのはいろいろな言説が玉石混淆の如く混じり合っていて面白い。
広告まで含めると、この紙面に何かのポリシーだのイデオロギーだの、そこまでいかなくてもアジェンダみたいな(笑)そういうものがないのかと思えることがある。
サクラマスがヤマメの降海型だということを、新聞のコラムで読み、初めて知ったという60歳くらいの女性。鱒の寿司を食べたことがないのかと問いかけたいが、民意とか、何かそういうくらいのところで戦わないといけないことを教えてくれる。
だけど、コラムがこれではいけないだろうというのが今朝の某地方紙のコラム。社説はその新聞の立ち位置を示し、コラムは良識を示すとは、ボクの勝手な考えだが、その良識を疑いたくなるコラムの内容であった。
引用するわけにもいかないので、抄訳。
新しい図書館ができるのだが、そのコンセプトが、「地域を支える情報基盤」「生涯学習・読書の拠点」「知的資源の保存庫」「にぎわいの拠点」だという。いつでも静かに必要最小限のことばと物音ですごす筆者は、「にぎわいの拠点」に驚いている。静けさの象徴のような図書館ににぎわいがふさわしくないというのだ。
「にぎわい」というのは、人が行き交い活気にあふれることで、騒がしいとか、喧しいとかいう意味ではない。堂々とそのことをコラムに書き、またそれを許容する社があるわけだ。
そんなことを思っていたら、埼玉から帰郷している長男が新聞に「県都」ということばを見つけた。埼玉では見かけないという。県庁所在地のことだろうが、県都などと書いたら、隣の都に対して何の見栄を張ってみせているのかと笑われる。
県都のにぎわい。なるほど、以前は、駅前で拡声器の広告が流れていた。飛行機でスーパーの宣伝をやっている時代もあった。どこでも余計なBGMを流している。冬の樹木をわざわざLEDでライトアップしてエコしているとさえうそぶく。ひっそりと落ち着いていられない県民性があるんだろうか。
歩けばきんぽうげすわればきんぽうげ。
山頭火の句である。
そうした「にぎわい」を知らないのだろう。非難、批判、誹謗、中傷よりも、哀れを感じた。