世界水準

どこを開いても、日本、ニッポン。そんなはずじゃあなかっただろうと思うが、そんな国民性がすっかり身に付いている。
掌を返したように岡田監督を賞賛する発言が相次ぐ。おわびしなければという話まで飛び交っている。いや、本当に絶望的だったのだ、ワールドカップ前は。
昼休みにいろいろなコメントを見ていたが、。興味深かったのは、オランダ戦のあとに中村の投入を評したものだ。
中村が選手から一定のリスペクトを受け、カリスマであるがゆえに、中村投入によってプレーヤーが中村に球を集める傾向を強めた。しかし、そう簡単に中村がプレーできるような情況ではなく、ましてや、後投入のプレーヤーはゲームに入り込むのが難しく、中村自身もそうした使い方でフィットしてきた選手ではなく、むしろ、自分のリズムを保持しながら一定の距離感でプレーする選手であり、もらった球を結局どこにも出せずにバックパスの連続であった。そのまま、試合終了を迎えた。
なるほどと思わせた。戦術的に中村を用いることの難しさを示している。中村を切ることで、自在の戦術を可能にしたのだから、中村斬りに監督の手腕があったと言えよう。12年前は、カズを斬り、その動揺をプラスに変えられなかった。
惨いものとさえ感じる。一時代を築いた卓越した技術をもち、天才の名を欲しいままにしてきた選手が、これだけの興奮の中に名前ひとつ挙がらない。大勝負の時に、必ずエクスキューズかましながら、怪我だの捻挫だのと言い続けてきたつけが回っている感じすら、ある。高い技術があっても、世界水準に達しているのは、アグレッシブで献身的で最後まで気を抜かずにせっせと仕事をするという点だけということか。そこから、ずっと抜け出せない。
こうしている間も、次期監督を考えておかないと、これからがなくなってしまうのだが、多くの人々の関心はここらですぐに絶え、一気に冷え込んでしまう。