同世代の子ども時代を過ごしたはずだが

ドキュメンタリーで賞をとったものらしいが、よく認識していなかった。
柏原兵三の傑作に「長い道」というのがあって、それを読んだ藤子不二雄Aが「少年時代」というマンガを描き、映画も作った。別の土地の話なのに、あまりにも類似性があって、矢も楯もたまらず自分の作品に描いたような切羽詰まった、焦りではないのだが、足早に表現してしまわなくては息苦しくて仕方がない追い立てられる読後感を抱いたような感じが生まれる。そういうことはあるものだ。
ほぼ、同年。たぶん、ボクは早生まれで1年学年が上。当時の団地に作られた小学校の風景を描いた一作。公団団地と田舎の小さな町暮らしではずいぶん違うようで、同質の気配に満ちている。「長い道」と「少年時代」のように、時代に影響されつつ、ボクらはいろいろなものをすりこまれているらしいと感じさせる。

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

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小学校6年生のときに、児童会長になった。別に権勢欲があったわけではない。応援演説をしてくれたMがすばらしいやつで、彼のおかげでその役割をいただいた。当時は、児童会長は子どもたちのコミュニティの代表である。しかし、ちっとも仕事をしない。叱られてばかりであった。指導のS先生には、まったく、いつも叱られてばかりいた。指導者として並んではいるものの、あんまり真面目そうでなく、適当に時間つぶしの仕事をくださるK先生の、取るに足りないどうでもいい話が好きだった。児童会の時間はそういうものだった。
ただ、当時からどうにも「解体」の気分だけは満ちていた。戦後の左翼闘争の残滓が、むしろ、色濃くイデオロギーをまき散らしていたし、先生たちの集団の背後にある何かの動きにも多少は敏感だったが、都市のそれとは違って、どこか戦いよりも清冽な思想的な高邁さを保とうとしていたようにも思えたのはどうしたものか。あとから気づいただけにすぎないかもしれない。何と戦っているのかと言えば、何だろう。それはよく掴めなかった。強引に迫りくるものに抵抗というよりは、そんなものを無化させてしまうようなやり方を好んでいた。戦いに抵抗して戦っていてはどうにもならない。ガンジーにはなれないが、戦意を逸らしてしまうことくらいは何とかできるんじゃないか。いつも、そんなことを思っていた。
いや、止そう。少年の頃のことを書くと憂鬱になる。弱虫で泣き虫で臆病で、それでいて見栄っ張りで負けず嫌いという、目に前のものから逃げ出すだけで精一杯の小さなボクしか思い出せないし、小学校、中学校と通じて、思い出したくないのに、心に刻まれてしまった風景が繰り返し繰り返し現れてしまう。案外、そうした呪縛から逃れる方法のひとつが、山歩きだったり、釣りだったり、何か別の大きな、ままならぬことに恥を感じなくて済むものに向き合うふるまいかもしれない。
しかしながら、今の学校にさえ、当時のいろいろな種は生きている。むしろ、同世代で教師をしているような連中は、そうした気配を読み取り、吸収できた勝者じゃないか。そこから考えてみるとわかりやすいのかもしれない。
まだ、未読了。
改めて、何かがことばになれば書こう。ことばになりそうもないのに書かざるを得ない切迫感。