学校をつくろう!

工藤和美という人が福岡県博多小学校を設計建築したときのことを描いた本だが、例えば、学校を訪ねたとき、学校の先生方は壁面の装飾とか、掲示とかには興味があっても空間が作り出していく教育的な機能には案外無頓着じゃないのだろうかと思うことがあって、何かそういうところにわかりやすい言い方が出てこないかなと思って、手に取った。
トイレに置いておき、何となく用を足しながら読んでいると、どこかで見たような学校だなと思った。あ、そうか、富山市の芝園小学校だ。ちょっと調べてみると、その通りだった。博多小学校での方法論を持ち込んで作ったらしい。
となると、空間設計というのは案外いい加減なもので、様々なコンセンサスを経由して学校になったように書いているけれど、結局その人のスタイルや考え方で定義されるべきデザインがかなり含まれるということだ。うまくいったから他でもこの方法でというよりもアプローチも含めてその場所、風土にあった設計というのはあるはずだし、アーキテクチャがそこのところを無視してきた例を山ほど見てきただけに、いよいよ残念。なるほど、雪国を抱え込んでいないのはそのせいか。これぞ雪国という設計で作られたモダン建築は、今のところ、キョロロの森が一番印象にある。現代の合掌造りだと言ってもいいかもしれない。
所詮、「私のやり方」になってしまうというのはつまらない話だ。スタイルはそう変わらなくても、デザインが、いやスタイルさえ変えてしまえるのが人間の面白さでもあるし、それだからやってみる価値があるんだろうと思うんだけれど。

学校をつくろう!―子どもの心がはずむ空間

学校をつくろう!―子どもの心がはずむ空間