学校をつくろう

学校をつくろう!―子どもの心がはずむ空間

学校をつくろう!―子どもの心がはずむ空間

地元で小学校の統合問題があって、木造の校舎をそのままで耐震補強するのか、あるいは、学校そのものを見限って近隣の余裕教室のある学校へ統合するのかについて、町長と議会、反対派や賛成派がめぐる議論が続いていた。
議論そのものは、PTAの意向を聞いた数日後にこの震災があり、耐震性に問題の多い学校を存続させることへの危険度が一気に高まり、町長が耐震性診断のための予算を取り下げて、流れが統合に傾いた。
この町の小学校は、やがて2校。いずれもオープンスクールと呼ばれる設計を施した学校になる。
学校の建築には、ずいぶん前から興味があった。簡単に言えば子どもの頃からである。建築好きというのもあるのだけれど、学校という異空間に興味があったと言ってしまえばいいのだろうか。
小学校は、町のなか、中心通りからほど遠くない場所にある。元々は、県内でも珍しい鉄筋コンクリートの建物としてつくられたが、高校を誘致するために校舎を提供、代替として建設された木造校舎がボクらの小学校だった。鉄筋コンクリート以前の建物は商工会議所として使われていて、松本の開智学校のような明治期の印象的な建物だった。
ボクらの小学校は、どこにでもあるようなものだったのだが、のちのちになって気付いたのは、戦後の建築だったために、奉安殿がなかった。当時の民主的な教育にはなかなかそれも気付かずにいた。案外知られていないが、この地方の多くの学校では、式典の前には、体育館に設えられたステージに緞帳が下ろされ、全員が入場し、起立した状態で緞帳が上げられる。そして、敬礼。そこには奉安殿があったのだ。今は、国旗に変わっているものの、そのしぐさだけはそのままになっている場合が多い。すでに、学校の教員は戦後生まれで占められているが、こうしたしぐさを学校的な伝統として受け継いでしまっている例も多い。戦後処理が、日本的な曖昧さで、国体の護持がなされてしまったもので、批判され、断罪されるものまでなしくずしに残ってしまった例である。
同様に、学校というアーキテクチャーにもその影が残る。
大学院に在籍した頃、学校の建築に見る教育の思想を研究しようと思ったことがある。詳しくは述べないが、オープンスクールも、ちょうど平成に入りたてのころ、詰め込み主義から脱して、ゆとり教育を呼び声だけでなく内容的にも質的にも充実させていこうとしていたころの建築だ。教室という枠組みにとらわれずに、壁のない教室、広々としたワークスペース、各フロアに設けられたスタッフルーム、カーペットのフロアなど、それまでの学校の仕組みを変えるようなものが随所に散りばめられていた。
しかし、案外評判は良くない。教育改革は校門までと揶揄されるように、先生が一番保守的らしい。教室という建築の改革は教育方法の改革も引き起こすにきまっているが、そちらの部分の要請ではないだけにミスマッチも少なくない。
やっぱり作品は掲示しなくちゃ気が済まないし、教室の中だけで収めておきたい事情もあるのだろう。20年を経過してもなお、使い方にしっくりとした方法がはまっていない印象さえ受ける。
そこへもってきて、この揺り戻しである。ゆとり教育がバカを生んだみたいな勘違いが席巻した結果、教育内容を増やし、授業時間を増大させるというとんでもない逆行を引き起こした。ゆとり教育の引き金は心の問題だったはずだ。エコノミックアニマルとまで呼ばれた日本人の価値観をもう一度本来の場所に導こうとした取り組みが「ゆとり教育」であったにもかかわらず、知への渇望ではなく、相対的に「知っていること」の減少への恐れが引き起こしたパニックでさえあると思う。
そんな情勢の中で、どんな学校をつくっていこうとするのか。この本は建築家からの実践ルポである。
結論的に書いてしまおう。
決定的に、授業という視点が欠けている。この人にとって教室は先生が子どもに教える場所であって、子どもたちが学びを生むような場所としては認識されていない。学校の最大の商品は、授業である。のんびり出来る空間や食事場所、遊びのスペース、きれいなトイレ、たくさんの人が視察に訪れる学校建築ではない。だから、最優先されるのは、子どもはどうやって空間に学んでいるのか。つまり、文化とか、価値を教師や子どもたち相互に紡ぎ出しているのか、また、それを建築がどう支えていくのかという視点がまるっきり欠けているので、以前からこの点について問題意識を抱えてきたボクとしては、お前なんかに空間を作られてたまるかと叫びたい。
実は、伝統的な学校だろうが、あるいは、学校という建築が体をなしていなかろうが、それでも学校は成立する。それは人と学びが学校の本体だからだろう。その意味で、この本は教育書にはなれない。
だけど、見所はいっぱいある。
空間が人を育てること、そのためにどうすればいいのかということ。そんなところはわりによく書けている。
この人が設計した芝園小学校に、建築の関係で何回か訪ねた。本にも使われた表現の広場などそのままあった。屋上のプールもそのまま。博多小学校でも、芝園小学校でも同じ名称というのは困ったものだと思う。本書で彼女が主張することをそのまま生かせば、博多と芝園で同じものなど現れてこない。変化しない異端は、ただの際物だ。もっとも、地域の住民が博多と芝園を同値したのかもしれないが、住宅地や商店もあるけれど、落ち着いた文教地区である。とても同じには思えない。
さまざまな工夫に目を奪われはしたけれど、全く新しい思想を感じない教室に半ば驚くと同時に、もっとも感激したのは、芝生の校庭だったというのが、評価の落ち着くところだろう。彼女がとてもお気に入りとみえるビーンズ型の机にしたところで、地べたにはいつくばってでもノートにことばを書き連ねる興奮をもった子どもたちにはどうでもいい意匠である。