長野

長野へ行こうと思い立った。
高校生の時、戸隠に泊まって、翌日善光寺に行って以来だから、30年近くにもなるか。どんなところかよく覚えてさえいないのだ。
途中で、飯綱に立ち寄り、サンクゼールの丘というところで食事。ワイナリーなのだそうだが、こんなところにこういうものがあるのは知らなかった。行ってみると、よく方々で売られているドレッシングだとか、ジャムだとかの工場がここだったのだ。そんなことも知らずに、林檎の花を愛でて、気持ちのいい丘の上で、ドイツ料理を食べてきた。
何ヶ月ぶりだろう。風が気持ちよく背中を伸ばしていく。そうだなあ、何だか前のめりに暮らしている。ぽーっとしていることのない人なのだが、ぼーっとしてみること、意図的にそうすることの大切さを思う。ふっと、胸に風が入っていくような気がした。
このあたりの風景は、それだけで心拍数も血圧も下がっていく感じがする。

サンクゼールの丘から飯綱のまちを見下ろす。風が吹き渡っていく。

林檎の花が満開。10日ほど遅いという。ボクらには幸運である。

木が丘にあり、風にそよぐ。そのことがうれしく感じられるのは幸せだということだ。

古いニコンレンズで撮影。石のテーブル。艶めかしく見えるのはレンズのせいか。
うまいソーセージと、風。光。
こんな場所があったんだなあ。
そこから、長野へ移動。駅前に車を置き、歩いて参道を善光寺に向かう。
町の魅力が何かをよくわかった通りは歩きやすい。
途中、駐車場になったオリンピックスクエア。もう、あの頃の写真もぼろぼろである。ここは競技場じゃないから。白馬のジャンプ台が今も人を引きつけるが、授賞式会場はこんなものなのだろう。それでも、何かを思い出して、じーんときた。

これは宿坊。今もたくさんの人を集めるのは、無宗派故か。そもそも、宗派のなかった時代に善光寺信仰が生まれ、それはそれほど珍しくはないが、どこにも偏らなかったのは善光寺がいつまでも愛されることに理由があるのか。朱色に引かれてシャッターを切っている。

本堂。こういう感じだったか。さっそくお参り。内陣にも入り、胎内くぐりをする。大きな声で騒ぎながら歩いている人も少なくなかったが、何かを思い、祈り、念仏をしながらくぐり抜けた。

古い建物もあれば、懐かしい空気感のある場所もあって、通りは飽きさせない。クラシックカメラの店もあって、PENにニコンを付けていたら何だか店にふさわしく思えたが、入ってみると、イコンタとか、ライカとか、そういうお店でもあった。ボクのような借り物のカメラに、もらい物のレンズでは少し恥ずかしさが出てきて、早々に出てきた。出てみると、オリンピックスクエアの前。あっちの通りを歩いていたんだな。
彼女にトンボ玉のネックレスを購入。夜店のおもちゃみたいな値段だったが、ごめん。そのくらいしか、ボクには買ってあげられるものがない。せめてお似合いならいいが。
車を回収すると、そのまま渋温泉へ。渋温泉は外湯が多くあるが、立ち寄り客のものではなく、宿泊客や地元の人々の専用。開放されている野沢の外湯とは違う。山之内の観光連盟に電話すると、この時間からだと、一般の外湯はもう閉まっているが、それでも入れてくれるところがあるという。それで石ノ湯というのを紹介してもらった。
温泉は、川に沿った細長いところに伝統的な温泉街の風情を醸し出している。ゆっくりと歩きたい場所だが、今日はお湯だけ。石ノ湯は普通の民家で食堂もやっているような場所。大きな犬がいたので、彼女に尋ねさせると入っていいという。入ってみると、その名の通り石造りの湯船。2つの浴槽に60度ばかりの源泉が流れ込み、上の浴槽から下の浴槽に徐々に流れ出すことで適温調整をしているらしい。うまい仕組みだ。お湯は柔らかく、他にお客さんもなく、気持ちよく、ゆっくりと入れた。ずいぶん温まるお湯で、長い時間愛された温泉の価値を理解する。

風呂上がりに、通り沿いの玉川という蕎麦屋に入る。手打ち、自家製粉。鴨南蛮があったのでたまらずそれにしたが、自家製粉で十割という危うさがそのままで、ざるはなんとかなるけれど、温かいものはそばが切れ切れになってしまった。ざるにするんだった。それでも、出汁はよく、温泉で温まった体がまた上気し始めた。
温泉街の一方通行は車がようやく走れるほどに狭くなって曲がり、これ以上行けないと思ったところで川沿いの広い道に出た。今度、また、ゆっくり。こういう温泉場で泊まるのもいいだろうなあ。浴衣の季節がいいかもしれない。