銭湯「星の湯」

夕方から用事があって富山市に出て、そのまま食事をし、どこかでお風呂に入ろうと思ったが、けっこう時間が遅く、記憶を便りに銭湯を探した。
星井町に「星の湯」があると思っていたが、ちゃあんとあった。
ずいぶん久しぶりの銭湯である。
気をつけてみると、銭湯の約束事がすべて揃っている。あとは脱衣籠くらいだな。
入り口の下駄箱、男湯女湯の表示、番台、しきりの大鏡、扇風機、飲み物などなど、昭和の風情と言いたいが、ばりばりの現役のままで、恐ろしくきれいに整えてある。
よくセクシービデオにおねーちゃんがお風呂に入るようなものがあるけれど、こういうところで撮影するのかも知れないな。
水の女」という銭湯が舞台になった映画があった。浅野忠信UAが出ていたんだけれど、監督したのは富山県出身の人で、ちょうどボクがこのあたりをうろうろしていた頃、やはり同じようにうろうろしていたらしい。すれ違いばかりだったので、知り合いの知り合いのままで現在に至っているのはずいぶん悔しい。
あの頃、このあたりにはずいぶん銭湯がたくさんあった。そういう生活のスタイルだったんだろう。水やエネルギーの面でとても合理的な方法だったのかも知れない。原発で云々言っているとき、そうした生活の仕組みをいじろう、妥協しよう、変えようともしないで、日本は技術力があるから自然エネルギーの開発で生き残るんだという言い方が横行している。それは、原子力は危険だけれども日本の技術力があれば平和的に安定して運用できる、と言っていたのと何にも変わっていない脳天気な夢想でしかない。こいつは理念の問題ではなく、具体的な技術なのだ。確立していないものを安易に盲進するには、何かの特別な事情が必要だ。その事情を議論する前に、自然エネルギーとかいう前に、ライトアップなんかを有り難いと思ってきたくらしを悔悟しよう。
と今になってそんなことを考えてはいるが、久しぶりの銭湯は、のびのびと命を洗ったような気がした。風呂上がりにマンガを読んでいたら、彼女が先に出ようとして番台さんが「お連れさんまだですよ」と声をかけてくだすった。こうでなくちゃ。
フルーツ牛乳は腹一杯であきらめました。