能生から親不知

岳父がそばでも食べようというので、能生にできた菊右衛門とかいうお店に行ってきた。あとから調べると、帰郷して開業するタイプのお店で、店主は開業コースのような養成講座の出身らしい。
まだ、開店に少し早かったもののお店に入れていただく。地元の食材を生かしたものを提供していて、なかなか気の利いたメニューには思わず迷いが生じた。
限定数のセットを頼む。こちらでよく食べられる笹にのせられた寿司や手作りこんにゃく、地元の野菜の天ぷらなどが揃い、おそろしく繊細に打ち込まれたざるそばが付いている。やさしい味だなと思っていたら、女性が打っているとのこと。そばは人柄である。


開店時刻の11時30分になると次々にお客さんが立ち込む。みんな開店時刻を知っていて駆け付けるらしい。
食べ終わったところへ電話が入り、栂海新道を降りている従弟が親不知まで降りてきたという。風呂に入ってビールを飲むので2時間後という約束をして、マリンドリーム能生へ向かう。
能生は山もいいのだが、海もいい。以前から蟹漁の盛んなところで国道沿いに並んだ蟹の露天が有名だった。実はそうしたものがマリンドリーム能生に移転しているのだ。あまり賑わっているようには見えなかったのだが、最近、けっこう評判らしい。

海沿いの堤防で人が並んでいるのでなにごとかと思ったら、買った蟹をその場で食べているらしいのだ。カップルもあれば、親子もあり、甘エビ、蟹、岩ガキなどをコンクリートや芝生の上で食べている。ちょうどいい入れ物やはさみ、タオルなども貸してもらえるらしく、ずいぶんの人出である。長野の人たちは夏は海と繰り出すようで、内陸部のナンバーもよく目立つ。

ボクらには夏場の蟹という感覚はないものの、賑やかな売り場の様子には、何だかずいぶんとうれしくなった。格好付けたものではなく、こういう地場産のものが愛されるようになったといううれしさだ。

魚が好きな従弟に、甘エビを買っていくことにした。
親不知に約束の時間に到着。たしかウエストンの銅像があったと思い出し、撮影してきた。案外ここまではこないのだ。展望台には、親不知の断崖などの説明書きがある。山脈はここで突如海へと落ち、人を寄せ付けない壁として両越を分かつのだ。今の場所に道路ができたのは、明治になってから。道とも海とも知れぬ場所を数千年にわたって人々は命がけで行き来したのだ。未だに、快適な道路とは言えないのは、当たり前のことだ。

遊歩道にウエストンがいた。以前はここが国道。断崖には、砥のごとし矢のごとしと刻まれているらしいが、撮影する時間がなかった。小さい頃の記憶だけである。

これが、「アルプス」と呼ばれてしまった由来になる人か。功績も大きいが、アルプスを払拭しがたいのは何ともやりきれない。
栂海新道を汗だくで降りてきた従弟を改修。どろどろになった登山靴が苦闘を物語る。夜、久しぶりにいろんな話をする。笑うとブラピに似ているので、「セブンイヤーズ・イン・チベット」を思い出す。ボクは、チベットに残った方の人だな。
用意した鱈の一本焼きやたら汁、甘エビを食べ尽くしてくれた。馳走ではなかったが、喜んでもらえたらしい。