やっぱー

高校生世代の討論を生放送する番組。
高校生のパネリストが自分の意見を言い合うような展開をするために、面白いテーマを出していた。
最初のは、3000人が避難している避難所で、2000人分の食事しかない。配布するかどうか。次は、高校生、1ヶ月前に別れた彼女が妊娠。産むべきか、断念すべきか。
そのあともいろいろあったようだ。
それぞれに一生懸命考えて答えようとしているのだが、迷いやためらいが混じると、やっぱーとつく。了解されているだろうという前提こそが実は最初に対話を尽くさなければならないものであって、その部分を合間にしながら表現されたことばの文字面だけで勝手に判断し議論をしてはいけないと思っているのだが、やっぱーと付くのは、共有された意味、一般的にそうであろうという意味によりかかっているようにも思えるし、ただのリズム取りとも思える。
2番目の問いには、やっぱー、命って大切だしーとなる。ほぼ、無視してよいフレーズなのだが、合いの手を入れるには、誰にとっても大切しない部分だとも思えるので、やっぱー、つかいやすいのかなーと。
ボクはことばを吟味することに、まず、議論の面白さがあると思っていて、そんなところをしきりにどっかのだれかのに書き込んでいたらすっかり嫌われてしまったんだけれども、その嫌悪感にずいぶん同調する人があったとも聞く。よくよく見てみるとフォローのコメントは、共感なのか、応援なのか、追認なのか、この間の五山送り火と同じ「後出しじゃんけんの状態」が連続している。
やっぱー、それって議論として卑怯っぽくなくない。(わからん笑)
ボクはちゃんといっしょに吟味しながら、しっかり積み重ねられていく議論で、いろいろなものが止揚を果たすんじゃないかと思っていたが、彼にはいい迷惑だったらしい。それは、彼の資質ではなく世代的な傾向なのかも知れないな。きっとプロレスなんか見ない奴だろ。結末がわかっているもののどこがおもしろいと言ったことがあったように思う。勝った負けたの結果のどこがおもしろいとしか返しようがないのだが、それはまさに勝ち負けを付ける、優劣を付けるために議論をしているわけじゃあないというあたりに、やっぱ、つながっていくのだろう。あ、ここは、やっぱじゃないか。