飛騨古川

飛騨古川の名前で知られる飛騨市古川。高山より10キロメートルほど北にある町で、宮川のほとりに広がった宿場町。古い町並みが今も残っていて、十数年前から町の伝統的な資産を上手に生かして町おこしとしてブランド化させた。
町おこしが始まってすぐのころに数度訪れていたが、今回は、よく考えるとそれから十年近く経っていた。流行の町おこしはあっという間に廃れていくが、この町はどうなんだろうと、そんなところにも興味があった。
白壁土蔵に沿った小さな用水に鯉を泳がせてそれを売り物にしていたというのが十数年前の印象。おこし太鼓という勇壮な祭りもあり、また、冬、街角に大きなろうそくを雪で作って火を灯し、人々が3つのお寺を回る三寺参りなども、風物として味わいの深いものだと思っていたし、その風情をしっかりと大事に育てているのだが、実は、驚いたのは町並みの変化だ。
高山の古い町並みはよく知られている。たくさんの観光客もやってきて、飛騨の小京都とも呼ばれる町を味わっている。今回、古川と一緒に高山も歩いたが、観光地として一層洗練されて、高山がもつ文化を上手にブランド化して魅力を高めている。これには感心した。どこにいっても小さな銀座みたいになっていたかつての感覚がずいぶんと変化して、その町がもつ特有の風土を最大の価値として、その町らしさを前面に出すことでどこにもないそこだけのものを引き出している。こういうのは、見習わなくちゃ。どこかは言わないけれど、隣県の都市などは、今でも六本木ヒルズを真似ている。流行り物に似せていくと、いっしょに廃れていくことを理解していない。
その高山は高山でずいぶん魅力を磨いていて、それはそれでとても堪能したのだが、古川は似ているようで全く違っていた。元々観光客相手の風致地区があるわけではない。普通にくらしている人々の町並みが魅力的だったのだ。しかし、その町並みもずいぶん崩れていて、早晩、こうした風情もなくなると感じていたのが十年前。ところが、むしろ、蘇った。新しく建築された家々が伝統的な趣をしっかりと大切にして、そのまま近代建築でありながら、町並みをしっかりと保持し、さらに引き立てている。今でもこういうことができるんだと、戦慄した。

ボクの町もよく似た国境に近い宿場町だったのだが、その町並みはもう激しく崩れている。家を新築する際に、設計士がこの古川の町並みが大好きだったこともあって、かつての雰囲気を残したままに工夫して建てたのが現在の家。そんなことを考えた人はそう多くないらしく、すでに後に住む人もなく廃屋を更地にしてしまったりしながら、町並みは消えてしまった。いや、実際、住みにくいのは住みにくい。町屋は薄暗く、隣接した家々は窮屈でクルマの置き場所にも難儀する。仕方のない変化だと思っていたが、こうして、新しい「古い町並み」を見せられてしまうと、この町を支える人々の意志に感激してしまったのだ。

しかし、よくよく見ると、この通りの裏側は櫛の歯が抜けたようにもなっている。いくつかの現実的な課題も少なくないのは事実だろう。
長い時間を経て醸成されたものには価値がある。その価値に気付いて捨ててしまうのは一瞬だ。見誤ってはならないが、激しい興奮や欲は時折人々を白昼の闇に放り込む。