Railwaysのロケ地巡り

出雲を舞台にしたレイルウェイズの第2弾が、もうすぐ公開される。ロケが行われた富山県で先行上映。富山県もずいぶん肩入れしていて、方々でキャンペーンが行われている。
こういう映画を見にいくと、ほぼ火曜サスペンスの犯人の告白追い詰めシーン。有名な観光地などを背景にわざわざ自白。でも、富山の人はこういうの好きなんだ。
名作に舞台になったところがのちのちよく知られるようになって、名作の価値に付随して、いわば歌枕のように訪ねる人が増えてくるというのはありがちなことで、それは風景が物語とよく似合って、そこでしか手に入れられない価値を持ったものだと思うし、僕もまた、映画の中の風景に入り込むべくそういう場所を見ては映画の、あるいは、小説の、あるいはドキュメンタリーの余韻に浸る。
それは、映画が先にある。名画でなければ、傑作でなければ、どうでもいい。
富山県は、寅さんがこなかったことにどうやらトラウマがあって人並みでないとでも思っていたのか、映画の招致に熱心でフィルムコミッションも生まれたらしい。そうやって、撮影されたのが、今回の映画のようなのだが、このフィルムコミッション観光協会のような組織なのか、撮影された場所は有名な場所ばかり。映画にあった場所を探し出して映画の世界にリアリティを与えることがコミッションの役割だと思うのだが、すっかり観光案内。事実観光案内のパンフレットまでできている。釣りバカ日誌のときにも、そういう大騒ぎがあったなあ。本木克英が監督をして、富山を舞台にというオール富山キャンペーンは正直見苦しかった。観覧者の半分が富山県人という素晴らしい興業成績で、何とも配給は苦笑いだっただろう。
映画はきっと良い出来だろう。大好きな余貴美子さんが出ているし。レッドアローの走る風景に富山の人々が誇りでも持ってくれればいい。でもなあ、これみよがしなここで撮影しましたっていう写し方になっていたらどうしよう。映画を見ながら周りの人が、あそこやねえとか、エキストラの人の名前を叫ぶと、いろんなことが台無しになってしまう。
剱岳点の記でもそうだった。硬派の山岳映画に仕上がるところ、余計なシーンが紛れ込んできて興醒めだった。
おらがむらってのは、そろそろやめにしたい。有名になるという価値など、たいして継続性も普遍性もないんだから。と、昨晩、あの人は今みたいな番組に船木が出ていてしみじみ感じた。船木は今も現役選手。キングカズみたいな存在で、大会ではテストジャンパーで飛んでも、多くのファンのリスペクトを集め、そして、船木自身がそれに快く応じている。あの人は今の状態にしてしまったのは、そのときだけ大いに盛り上がってすっと引いてしまう報道の移り気だ。もう、なでしこさえ忘れつつある。
価値のあるものをゆっくりと大切に温めることができない社会になりつつある。今朝の朝日新聞地球防衛軍では、民主主義が楽して豊かになりたい人が世論形成した挙句の世間の体たらくをからかっていた。全く得心する。