農作物を外国に買ってもらうという発想

tppをめぐる議論を聞いていると、外国からこれだけ農作物を輸入しながら、外国に売ろうという発想がなかったのかと、素朴に考える。
外国の食材もずいぶん豊富に入っていて、いろいろな国の食べ物もずいぶんと食べられるようになった。
学生の頃だから30年ほど前にキウィをもらって、とにかく皮を剥けばいいのだろうとごわごわの皮を剥がしてみるが、青臭い実は全く美味そうに思えず、それでもなんかいいところがあるんだろうとかじってみるものの酸っぱくてどうにもたまらない。何だろうと思って人に話したら、そら柿だって熟していなければ渋いさと言われた。まさか、熟してないものを売るとは思えなかった。
きっと、バナナだって、パエリアだって生臭い炊き込み飯だったはずなのだ。それがすっかり定着している。日本にあった食材も外国にものに置き換えられ、エビなんかは日本人のために生産していただいているような有様らしい。そもそも、そんなにエビを食べていたかも疑わしい。この国の人はいいとなると、もうそれを食べないではこの国に住む資格がないとばかりに貪り食う。
一方で、油脂を使わないという極上の出汁を世界に広めることをせずに、外国のおかしな日本食を笑っているばかりで、どうせ外国人にはわかるまいと突き放している。自分たちが食べているものだって、向こう様からみればお笑い食なんだろうけれども、そういうことはあまり気にしていない。日本人の持つ鷹揚さで片付けるのも奇妙である。むしろ、その逆で不遜で尊大極まりない自意識の方が気になってきた。
日本の食の良さなどどうせ外国にはわかるまい、日本の食材など外国の連中に食わせるなどもったいない、そんな心情があったなはしないだろうか。戦後の厳しい食料不足を乗り切って、食に対して不安が常につきまとうというのもあるのかもしれないが、それにしても、これだけ飽食の時代になって、そのメンタリティが十分に生きているとも思えない。
サンマの塩焼きだって、アンチョビを食べている連中に食べてもらおうという発想がなぜなかったのか。食のナショナリズムなのか。どうにもすっきりした答えが見えない。
もうちょっと見守って考えて見ることにしたいと、今のところはそんなところだ。地産地消なんか、どこか変だって。土地のものがうまいのはわかる。うちの近所の食材で作られたグラタンなんかどうにも変な感じがつきまとう。