回転寿司から美術館

こっちで年末年始を過ごした姪が帰京するというので、次男に届け物をしてそのまま回転寿司で食事。最近できたそうだが、人気店。どこでも行列なのに、近所に100円寿司があるためか、すんなりざせきにはいれた。
おかげさまで、このあたりは魚がうまい。地物ならば安いネタでもじゅうぶんにうまいし、いや、むしろ、それが一番。今日食べた中でうまかったのは、バイ貝、フクラギ、カワハギ、アオリイカ、マアジというところか。ブリの名産地と言われているが、新しいフクラギはここでしかない滋味にあふれている。そういうものが、僕のお気に入りだ。世間でいう価値とは遠いかもしれないけれどね。
一生懸命食べたけれど、ピザを食べるよりも安かった。
時間があったので、久しぶりに、近代美術館へ。今は、特別展として県内の子どもたちのインスタレーションなどが展示してある。
入るとすぐにワークショップ。富山大学の学生たちが、ここの展示作品などの手法を使ってちょっとしたものの制作体験をしている。どうも、作品ツアーもやっているらしい。いいなあ。滝口修造が取り組んでいたデカルコマニーやフロッタージュ、ドロッピングなどの手法が体験できる。今の図画工作科では、こういうのも、インスタレーションもちゃんと扱っているという。絵を書くとか、ものを作るという単純なことばかりでなく、プリミティブアートのようなものから、パフォーマンスのようなものまで、場を演出したり構成したりすることもちゃんとやっているらしいのだ。
展示には圧倒されたし、涙が出そうになった。子どもの作品を並べただけのような学校もあるのだが、コラボレーション作品の多くは、作品の制作過程に大きな力を感じるものが少なくない。総合支援学校の子どもたちが紙切れをつなぎ、色をつけた巨大な紙の波が天井近くからぶら下がっている。紙切れひとつからほとばしるものがひきつけて離さない。小矢部の高校生たちは、インスタレーションらしさをよく出していた。クロスランドタワーからハートの紙切れが飛んでくる。そうやって、空間が別にものに意味を持ち始めるのは、また、アートのおもしろい仕事のひとつで、もう、どれひとつ見てもうれしくて仕方がない。
常設展も、10年ぶりくらい。レイアウトが変わって、ずいぶんわかりやすくなっている。滝口修造の小部屋があって、ここはたまらなく、居心地がいい。常設展示はあいかわらず、僕を刺激する。ここから、自分自身のクリエイティブの源泉があることを自覚できる。
30年前にここが開館した時、多くの人は度胆よりも、空いた口がふさがらなかったと表現した方がいいのだろう。田舎町に突如現れた現代アート。ねっとりした油絵と、写実的な彫塑を芸術と思っていた人々には、ウォーホルは意味不明で、マン・レイの小箱に至っては何かのいたずらにしか思えなかっただろう。彫刻だって、動いている。何だ、これは。しかし、それが滝口修造の遺伝子であり、当時の政治家の一部が奇妙なクレームをつけて違和感のある芸術作品を無理やり展示したりもした様子があったが、早すぎた時間に時代が追いついてきてようやく調子の良い場所になってきた。
金沢の美術館が最近人気だが、場所の演出はともかく、作品の収蔵と文化的価値の保管継承という意味では、間違いなく大きな仕事を果たしてきた。小さなミュージアムショップでは、現代アートの小物が並んでいて、ダリの絵に出てくる奇妙な生物のフィギュアが売られていて、それが案外手頃な価格なので、買ってしまうのではないかと妻をハラハラさせた。帰宅してから、買えばよかったと後悔している。
いい場所になったなあ。
自分が持っている価値観、ぶれない価値観。そんなものについて、寿司と美術館で考えさせられた。いい七草になった。
富山県立近代美術館のサイトはこれ。
http://www.pref.toyama.jp/branches/3042/3042.htm
独自ドメインじゃなく、教育委員会にぶら下がっているんだね。そんなところを何とかしないと。
でも、また、行こう。ちょっと、試してみたいことがわらわらと浮かび上がった。