北朝鮮人工衛星

北朝鮮人工衛星が発射され、日本上空を通過するというので、場合によっては、イージスなどで撃ち落とすってことになったらしい。人工衛星ぐらいいいだろうと思うけれど、そこは明らかに北朝鮮の方便だそうで、そこら中から空気読めよみたいな対応が出てきている。
日本は侵略戦争をしかけた被爆国で、その日本が平和憲法持ちながら自衛のための戦闘能力を有して、そのうえで平和利用の原子力発電を行うという。当時、それを世界はどこまで額面通りに受け止めていたのだろう。国内だって、放射線漏れのむつがどこにも寄港できずに流浪していたことさえある。そのうえ、バケツで臨界を起こしてしまうような国だ。こいつらが、平和利用で、しかも、高速増殖炉で、科学の子は腹に原子炉持っていて時々開けるし、ワープできる宇宙船を作れるような連中がインスカンダルまで放射能除去装置を取りにいくっていうし、きっとやばいよーなんて思われていたんだろうなあ、と考えるのだ。
一方で、うちの町みたいな零細で過疎化が進んだ町は、立地条件から原子力交付金には到底ありつけないけれど、がれきといっしょに交付金もらって生き延びるようなやり方も仕方ないのかなとも思う。水力というエネルギーも都会に搾取されて、人も物も、金もない。がれきで潤うなら、絆とか何とか叫んで言い訳しながら現世を謳歌するという選択さえ、やけに現実味を帯びてくる。
こんなことを考えるのは、まだまだどこまで行っても高エネルギー社会をどうしよう、エントロピーの処理ができない生活の仕組みをどうしようという議論ではなく、代替エネルギーの確保に腐心しているだけ。国債で財政を賄っているのと同じで、先送りが延々と破綻のちょっと前まで楽天的に引き延ばされるだけだ。
僕の住んでいる場所では、ミネラルウォーターにして売れるような水でうんこを流している。雪をとかしている。うんこ1回でペットボトル10本をはるかに超える。こういう生活の仕組みでいいんだろうか。
北朝鮮の国内では、きっと金日成を称揚し、喩えブラフにせよ、そのことで他国と伍することに快哉の気持ちも高まろう。高い塔を立ててそこに殺到する国民も、なかなかどうして足元が見えない点では、大変よく似ているが、そうでないと思っている分、厄介で物騒である。