学力調査

新聞に掲載されていた全国学力・学習状況調査の問題を眺めていた。
国語はなるほど、大切にされているのは、文章の内容だけでなく、表現の意図を読み取るということだなとわかったが、文学的な情動については言語活動の外枠とでも言いたげな展開。ことばの最も大切な要素は、内容を理解したり、正しく伝わることもあろうが、そこにしかできない仕事は、想像力である。想像力を刺激しない言語活動など、薄っぺらなものだ。推測や憶測は含まれているが、ここには、自己言及する表出がない。それは、言語にとっての美を欠く。以前に比べて単純な議論が多くなってきたのは、まさしく、ディベートの功罪だと思うし、解答に快感を求めるのも、陳腐な言語能力の帰結だと思っていたが、学校に「学力」の具体像を示す学力調査がこれでは先が知れる。プラグマティズムに毒に当てられたか。
算数のお釣りの問題も生活体験と知識や技能を結びつけるものと考えているようだが、お釣りの小銭をできるだけ少なくするようなお金の支払い方は、具体的なようでいて、実は子どもの生活体験から遠い。お釣りの調整の必要があるのは、財布をパンパンにしたくないからで、財布をパンパンにした子どもなどそうたくさんはいないだろうし、金銭経済が子どもにまで徹底して広がった地域だけに通用するものでなければ、結局、生活体験などと関わりの薄い、所詮シミュレーション問題にすぎなくなる。
その点、理科はすごかった。ほぼ、3、4年生の学習で解ける問題ばかりで、そうでなくても、合理的に考えることでクリアできるものが多かった。理科には、応用を問ういわゆるB問題がないので、わかりやすかったのかも知れない。
じっくり、文学を味わうなどとは、もう老人の恍惚の愉悦でしかないのだろうか。