松之山キョロロ、美人林

白馬に行く予定が、母が知り合いのご葬儀に参列することになって、思いついて、松之山の里山の学校キョロロに行くことにした。すぐ横に、美人林というブナ林があって、ちょうど芽吹きだという。ブナの萌黄ほど美しい緑はない。少し遠出になるが、松之山温泉も味わうことにして、早々に出かけた。
キョロロについたのは、もうお昼。すぐに、先週から始まった里山弁当をいただく。これが絶品。山のものと里のものの詰め合わせだが、どれひとつとってもご馳走である。足と手間でできあがった食事。こういうのが最高の贅沢。へぎそばを付けて1000円。毎週食べたいくらいだ。

天ぷらが旨い。そばもコシが強く、いい歯ごたえが残る。
隣の美人林では、サクラとブナの芽吹きと、残雪がいっしょ。春は全部いっぺんにやってくる。標高300メートルほどの里山にまだ1メートル半の雪がある。今年は、4メートルを越えたという。
美人林は、薪炭のための植林されたブナ林。もともと、ブナには近くにほかの植物を寄せない性質があるし、植林ということもあって、整然とした林は明るく華やかで美しい。芽吹きがまだ天空を覆い尽くしていないせいでもある。



あまりの美しさに、声が出てしまった。走り出してしまった。雪は固く締まり、用意したスノーシューも要らず、林の中を子どもたちが駆けている。激しい機材を抱えた写真愛好家がそこらに三脚を立て、風景や鳥を狙っている。
エリアはそう広くもないので、キョロロで案内していた山菜ツアーに参加することにした。地元のおじさんが講師でそこらに雪解けから適当に草や芽を摘んでくる。僕は山菜は好きだが、とんとわからない。走り回る子どもと大差なく、わかるのは、菜の花くらい。おじさんの話がおもしろい。何のこともなく、当たり前の生活の話におもしろさがある。かっこうつけず、たかぶらず、おごらず、普通の話。

するするとクマのように木に登り、コシアブラの芽をとってしまった。それも、特にどうということない話なのだろう。いいなあ、おじさん。
山菜の採集のあと、天ぷらやおひたしにしてみんなでいただいた。その間にもいろいろ話を聞く。このあたりの生活のこと。雪が降れば完全に外界から閉ざされ、そうでなくても、鉄道に乗るには最低で半日、直江津なら歩いて一日かかった。それでも、生活はじゅうそくしていて、不自由だったかもしれないが、不満があったわけではない。今の方がよほどお金もかかるし、無駄もある。考えさせられる話だ。ぜひ、冬、雪にうもれた頃においでという。再訪を約束する。
美人林にもたくさんの人がくる。とにかく、みんな驚嘆の声。理屈がどうこうではない。美しい。美人林とは下品な言い方だが、それだけ率直なのだ。近くの老夫婦がせっせと下枝の世話をしておられた。この森がそうやって守られていることも忘れてはいけないし、どこまで継続できるのか、里山という二次林の性格に思いを致す。
上越に向かう沿線も見どころが多い。全くサクラが盛りで、雪の風景に満開のサクラは奇妙だが、山里の春をよく象徴している。途中の峠でカメラが並んでいた。どうやら、棚田の絶景スポットのようだ。僕も数枚。

立ち寄り湯は、ナステビュウ湯の山。松之山温泉の鷹の湯から少し離れた場所にある温浴施設。掘削だが自噴。90度ほどある高温泉。お湯は、鷹の湯同様、灯油の香りがあり、恐ろしく温まる。名湯の名にふさわしい。温浴施設は、休憩所も広く、けっこうな賑わい。まだまだ、松之山温泉にはよい風呂が多く、いずれ、いくつか味わってみよう。
僕の土地にも同じようなものがちゃんと全部ある。なのにこの色合いの違いは何に由来しているのか。味わい深い土地を堪能しながら、心にかかった。