お家芸

男子柔道の金メダルの歴史が途絶えた。本家として、お家芸を奪われたような格好で、なかなか魅力のある篠原監督の辞任は必至である。こうなると、国際柔道のあり方などがとやかくうるさく、何が柔道かの本質論みたいなものも噴出して、柔道そのもののおもしろさや元々体系だった格技として意図的に作られた体技のひとつである柔道の国際的な発展について、全く蚊帳の外のようになってしまうのがたまらなく不快だ。
オリンピックはどうもこうした身勝手が未だに許される領域らしく、例えば、スキージャンプで日本が表彰台を独占した時に、フィンランドノルウェー、ドイツやオーストリアの人々はどんな印象を持ったかについては恐ろしく鈍感なのだ。そればかりか、日本人が表彰台に上がるとルール改正が行われるとその公平ささえ疑念を持ち込む。そもそもルールに絶対的な価値などなく、誰かが特別に得をしたり、競争が阻害されないようどう了解するかが問題なのだ。
柔道の選手が、前回の大会で1回戦負けで屈辱を味わったと言ったりもするが、4年に一度だけの注目では名前すら覚えていない。競技ではなく、メダルを中継しているようなものだ。
普通にスポーツを楽しめる国ではないのか、結局、マイナースポーツの祭典なのかも知れない。おもしろかったのは、開会式のMr.ビーンだけという感想もあり得る。
単純なことだ。みんなでフェルプスの快挙を祝おう。世界のどの国の選手にも祝福を与えられるのが五輪。そのことを考える2年に一度の機会だ。
でもね、すごおく正直に言うと、実はそのきょうぎのことをあんまり知らないもので、勝ち負けくらいしかわからないし、メダルでも尺度にしないと価値が見えない。