小川温泉

江戸時代越中五湯に数えられた小川温泉。諸国番付にもさすがに大関とはいかないが、三役レベルに挙げているものもある。明治時代には、泉鏡花がこの温泉を舞台に「湯女の魂」という小説を書いている。

越中に泊と云って、家数千軒ばかり、ちょっと繁昌な町があります。伏木から汽船に乗りますと、富山の岩瀬、四日市、魚津、泊となって、それから糸魚川、関、親不知、五智を通って、直江津へ出るのであります。

と紹介されている。泊は江戸時代に宿場町として作られた計画都市で越後と越中の国境にあって木綿や米、金などの取引で栄えた。明治時代当初には、街中だけで14000人いたと言われ、過疎が進行する現在の約2倍。賑やかな町だったのだ。黒部峡谷を探検した冠松次郎が泊駅を利用し、町で買い出しをしている。もっと、それは利便性もあったろうが、泊町の隣村出身の塚本繁松の縁であったかも知れない。宇奈月温泉の開湯は、大正を待たねばならないので、100年前北陸本線が泊まで開業した時のパンフレットには小川温泉が大きく取り上げてある。
湯女の魂からもうちょっと紹介しておこう。

「私の聞きたいのは、ここに小川の温泉と云うのがあるッて、その事なんだがどうだね。」「ええ、ござりますとも、人足も通いませぬ山の中で、雪の降る時白鷺が一羽、疵所を浸しておりましたのを、狩人の見附けましたのが始りで、ついこの八九年前から開けました。一体、この泊のある財産家の持地でござりますので、仮の小屋掛で近在の者へ施し半分に遣っておりました処、さあ、盲目が開く、躄が立つ、子供が産れる、乳が出る、大した効能。いやもう、神のごとしとござりまして、所々方々から、彼岸詣のように、ぞろぞろと入湯に参りまする。 ところで、二階家を四五軒建てましたのを今では譲受けた者がござりまして、座敷も綺麗、お肴も新らしい、立派な本場の温泉となりまして、私はかような田舎者で存じませぬが、何しろ江戸の日本橋ではお医者様でも有馬の湯でもと云うた処を、芸者が、小川の湯でもと唄うそうでござりますが、その辺は旦那御存じでござりましょうな。いかが様で。」

薬師如来が祀られていて、今でも、霊験あたらかなお湯として人気がある。子宝の湯として評判のようだ。薬師堂には、さるぼぼのような人形がたくさん奉納されている。
とにかく、よく温まるのだ。自噴するお湯というのは素姓がいい。飲んでもいいし、また、湯に入らずにぼんやりかけているだけでも随分温まる。季節がよければ、露天もいい。半洞窟で、湧いている場所に湯船がある混浴。
この日は、湯治部の日帰り湯で堪能。
まったく、いい湯は心まで温まる。