力粉

晦日のそばは、いただいた粉で打つのが慣例。
どんなそばになるかは、粉をもらってみないとわからない。
おそらくは、水内あたりの粉で、殻ごと挽きぐるみの強い粉。毎回、闘いになる。
まず、加水がなかなかやっかいで、殻の入ったものは経験上よく似た特性を持っている。何が厄介かというと、水回しを続けていくといつもより余計に水がはいる感じがあって、じゃあ、このくらい、このくらいと水を差すと、ある瞬間から粉が溶け出す。水が殻に浸み込む速度の関係だろうと推測しているが、そうなると、今度は目も当てられない。ズル玉から復活しにくいのだ。
それで加水を控えめに進めるが、車庫とはいいながらほぼ屋外でやっているので、時間がかかるほどにきつい。
こんなものかとのし始めると、こねが十分でないと水が回り切っておらずなかなか順調に延びてくれない。当然、切りもしっかりと切り込まないと角が立ってくれない。
どこをとっても力が入るのだ。
土地の力とでもいうのか、田舎の伝統的なそばにはこういうものが多い。趣味色のそばとは違う。これで生き延びるわけだから、餅にも似た力のいれ具合が向いているのだろう。ソバをできるだけそのままに粉にしてそばにする。何やかやといろいろなものを含みながら頑固で力強いそばができあがる。
このところ、単純化してすぐに右往左往する社会状況を少々憂いをもって嘆いていただけに、力粉のような、やっかいで、面倒だけど底力があってうろたえない民主主義もこうしたものかと感じ入った。