ハァちゃん、その後

ハァちゃんが秘密基地のことで校長先生に呼ばれていった頃、学級のみんなは帰宅しなさいという担任の先生の指示を聞かず、ハァちゃんたちを心配して待っていてくれた。
その様子からハァちゃんは、みんなから受け入れられている自分を感じて感激する。
ハァちゃんは、同年輩の子に比べると聡く、知恵がまわり、それはまた小賢しさにも通じ、疎まれることもあったに違いない。自分は自分と自分に正直であればあるほど、級友たちとの乖離は深刻で、かといって無理やり迎合した態度で接することには卑屈を感じていたとさえ思える。
いや、そう書いてあるわけではない。僕がそう思ったのだ。書きながら自分のことのように思えている僕に気づき、切ない記憶が蘇ってくる。
聡いわけではない僕は、狡く、卑怯にしか見えなかったろう。小学校の間、ずっと居場所を見つけられずにいたように思える。そうだ、階段をおりて便所へ行くところの辻で、中庭やグラウンドで遊ぶみんなを眺めながらただただぼんやりしていた記憶さえある。
何がしたかったんだろう、僕は。本を読んでいたのさえ、それ以外にやりたいことが思いつかなかったからだ。
何もかもが自分から離れたところで成立しているように思えた。
それが、卒業間近、みんなで卒業記念の演劇をやろうとした時、みんなが僕を演出と脚本に指名した。いや、名前を出したのは、kという女の子だった。面食らったが予想に反して、みんなが支持してくれた。劇はうまくいった。大きな賞賛がなかったが、僕は初めてみんなが受け入れてくれたような気持ちになれた。
kが僕の名前を出した図工室を今もよく覚えている。
何もなかった小学校から中学校へようやく進めると感じていたが、中学校である同級生から放たれた言葉で、それもまた、全くそうはいかなかった。それは、高校でもつきまとった。きっと、どこか何か自分に所以のあることで受け入れる以外にないのだが、幸い中学も高校も友人たちのおかげで、心を壊さずに乗り切れた。
それでも、時々、むくむくと現れては心を縛る。仕方があるまい。だが、6年生のその図工室の風景が、実は、大きな支えとして心を崩さずに留めていたのだと、この本で確かめられた。
いろいろなものを引き受けて、それでもぬかるみをのたうちまわりながらも、明日も前向きに生きるしかない。
kはどうしているかな。今になってありがとうと告げたくなった。

泣き虫ハァちゃん (新潮文庫)

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