三屋清左衛門残日録

日残りて昏るるに未だ遠し。
隠居した清左衛門が隠居日記に託した思いである。
通勤の長い時間をやり過ごすために、新しい本ばかり買っていてはもたないので、本棚の古い本を引っ張り出して読んでいる。ずっと以前に買った本ばかりだが、中でも、藤沢周平は、まったく人の生き方の機微というものを切なくも驕り高ぶることなき誇りのある生き方に描きこんでおり、いつ読んでも折々に感じ方の深まりに驚いている。
隠居の日記と思って読んでいたのは、10年前。気がつけば、清左衛門と同じ年配になっている。残念ながら隠居とはいかず、現役で、それもしがない身分で毎日の糊口をしのぐために仕方なく勤めているような体たらくではあるものの、去来する思いは思い当たるところが多く、いよいよ深まりは増している。
NHKのドラマ化は傑作で、そのイメージに吸い取られて行く風景が多いものの、ドラマの出来とあいまって、それもいささかの興を削ぐこともなく展開されていく物語に、身を委ねている。
十数年前、退職間近の先輩が何かの会合の挨拶でこのことをごく明瞭に簡潔に述べた。山歩きの大先輩でもあり、いくつもの山の著作をもつ氏のことばが紡ぎ出す力に感じ入っていたが、いよいよ、僕もそのことばで語ろうとしたものをひしひしと身に迫らせる歳になったかと、半ばうれしくもわびしくもある。
それはまた、清左衛門と同様の心境だが、切迫しないこと、穏やかなることを日常とすることもまた仕事のうちと言える春からの仕事がそのような心境を導き出しているのかもしれない。