民が勃つ

横浜事件といえば、戦時中横浜特高が主導した思想弾圧の冤罪事件。横浜事件と呼ばれているが、いくつかの出来事が連なったものだ。出来事の大きな流れの一つは、国際政治学者、細川嘉六が「改造」に発表した論文で、それがもとでどうやら特高に目をつけられた。細川が、故郷である富山県下新川郡泊町にジャーナリストや友人を招いて行った懇親の宴が、非合法化されていた共産党の謀議であるとでっちあげられ、関係者が次々と取り調べを受けた。忌まわしい思想弾圧であるとして、戦時下の権力の横暴を今に伝える。事件そのものは、長い時間を経て免訴となったものの、弾圧された人々には名誉の回復もままならぬ時が横たわったばかりだ。
会合に使われた料亭紋左や三笑楼の関係者は、特高の取り調べに対して事実を語ることを貫いた。当時の世相から権力への抵抗とも取られかねない中、泊の人々の矜恃と権力に屈さない精神を伝える出来事として、僕らは子どもの頃から聞かされ、実際、そうした了見を形成してきたとも言える。
もっとも、最近はどれだけの人がそのことを知っているのか、伝えているのか、希薄になっていくものに悔しさを感じていた。迎合せず自分で考えること、権力によって得をしようということを徹底して遠ざけることを、いつも大切に考えていたつもりだが、力及んでいないことも同時に感じている。

地元のテレビ局で人の姿に向き合う素晴らしい番組を作ってきた金澤敏子さんが、テレビ局を離れたあとも、まるでライフワークのように細川嘉六の再評価を試みている。まだ、その記憶や記録が残るうちにと徹底した取材を続け、魅力ある人物としられざる歴史や功績を明るみに引き出している。
「民が勃つ」は、越中女一揆とも呼ばれた米騒動について細川嘉六が研究していたことを発端として、実はよく知られていない米騒動について子細に描いていく。
時の政権を倒すに至った全国の民衆運動は越中で始まったことは、井上江花らの報道によって知られるが、その広がりと様子は当時の報道メディアが即時性を有していないことから、実はよくわかっていない。どこかで起きたという噂といくつかの新聞記事によって得られる情報が飛び火のように伝播し、民衆蜂起につながりには、いくつもの条件が必要なはずだと思っている。実は、まだ、本を読んではいない。きっと、そのあたりに何らかの解答を得られるようにも思っている。
米騒動が最も頻繁に起きたのが、泊町か。それはなぜか。この町は東日本への積み出しの起点となっていた。町から東へは越後親不知に遮られ、船を使うのが一番だった。
また、その当時、うちの先祖が「両越新聞」というものを出していたことも筆者の取材で知ったような有様だ。みっともない限りである。曽祖父や祖父は、越後と越中をまたぐこの地域を一体として考え交流を進めようとしていた。それは加賀藩に対するアンチテーゼであったかも知れないと密かに思っている僕にも、この本によって何らかのインスピレーションがあるだろう。
なぜ、泊なのか。政策的に作られたこの町のある時間の風景を描き出すことは、自分自身が何に依っているのかをふりかえることにもつながる。
本は、能登印刷出版部。装丁は、高才弘さん。この人のデザインはシンプルで訴求力がある。