日本一周3016湯

買い物のついでに紀伊国屋に寄る。経済的な事情もあって本屋な危険なのであまり立ち寄らないことにしているのだが、とりわけ、紀伊国屋のような本屋は剣呑極まりない。際限なく欲しい本が現れて、諦めるということしか残らない。

日本一周3016湯 (幻冬舎新書)

日本一周3016湯 (幻冬舎新書)

会社を退社して日本一周して温泉に入りまくった人の本。こういう本で気になるのは、自分の周囲のお風呂がどんな評価をされているだろうかというあたり。人それぞれの感じ方を知るのは、自分の感じ方を深めるにも好適なふるまいだ。
あれっと、思ったのはどうしてだろう。結局、いくらか眺めて買っていないのだが、帰ってきてからこういう人はブログの一つもあろうと探してみると案の定見つかった。なるほど、違和感の正体は、僕にすればあるはずと思っているものがないからなのだ。どうも北陸あたりはあまく見られたらしい。
白馬鑓温泉みくりが池温泉は日本最高所の温泉だし、糸魚川市には数多くの温泉があるものの立ち寄った気配は薄い。通過はしたが、彼の心を動かす湯はなかったか、あるいは、山は得意でないか。蓮華温泉黒部峡谷の黒薙や鐘釣、名剣などの温泉は触れられていない。残念だが、総べからくというわけにもいかないので、仕方のないことだろう。
ということは、3000も入れば相当な数だろうと思いながらも、そんなものはまだまだこの国の温泉を網羅するには全く足りないということだ。改めて、温泉の豊かさを感じる。
この本のエポックは、ひとつの温泉地でも複数の旅館やお湯に入っている。実は、温泉をどう扱うかはそれぞれの施設でかなり違う。よいお湯も扱いを間違えればまったく良さを損ねてしまう。特に、源泉の湧出量と湯船の大きさのアンバランスがひどいお湯を生み出した。バブルの影響がそういうところにも現れている。
適正な大きさで十分に湯を味わえる。そういう場所なら、シャンプーがなかろうが、シャワーがなかろうが、脱衣所がさむかろうが、まったく平気である。そういう態度においては、自分に似たところがあるのだろう。
悔しいのは、小川温泉に入りながら露天風呂に行っていない。こいつ、10分歩くのさえ躊躇するとみた。