道徳教科化の対立軸

道徳を教科にしようということについての議論がある。
そのことで社会秩序を維持していこうとするという考え方と、一方で、価値の押し付けだとする立場があって、それが対立しているように思われているが、その議論の構造そのものが間違っている。
道徳を教科にすることは、そもそも全教育活動を通して行ってきた道徳教育を教科として授業の枠組みに矮小化することであり、道徳教育の相対的な位置低下を招くのはもちろんのこと、道徳の時間においてさえ、価値を教えることなどしていないのだ。
議論はかけ違っている。道徳とは何かと問いが根本的に欠如しているのだ。
多くの議論に、問いが失われている様子見つけられる。何をどうすべきかという以前に何が問題であるかを捉える洞察を欠いているのだ。その洞察こそ教育の命脈である。だから、それは教育の議論ではなく、何を期待するかについてそれぞれの立場を主張しているに過ぎない。
ラーメン店で、味噌にするか、塩にするか、餃子をつけるか、という義論からそれほど遠くはない。