世代

いろんな事件があると世代のせいにすることが多い。
わかりやすいのかな。
例えば、「20世紀少年」ではロボットについての世代観が出てくる。ロボットは操縦する者、ロボットは乗車するもの、このあたりは、鉄人28号世代と、マジンガーZ世代で分かれてしまう。仮面ライダーでも、ボクはバイクで変身だと思っていて、変身のポーズには少々違和感がある。ヒーローは孤独なものなのだが、戦隊シリーズからよってたかって悪人を倒すようになる。
こういうのは、まあ、酒の場所で話題にして楽しむ程度のものなのでおもしろがっていればいいんだけど、id:bakkenさんのブログであったような「生活科の最初の世代」なんて言われてしまうと困惑する。
教育制度とそんなにリンクするほど、人のパーソナリティは脆弱なものなのか。それほど、教育には効果のあるものなのか、そんなことを考え込んでしまう。
ボクも共通一次世代。マークシートの導入で、「ちゃんと考えなくなった」と指摘された詰め込み教育最終世代だ。新人類と呼ばれた。それが今の「ゆとり教育」への導火線だったのに、今度は生活科第一世代か。それを教育関係者が話すところに危うさがある。同じように、家庭科男女共修第1世代もあるし、情報基礎第1世代もあるはずだろう。そこまではっきりと言及すればいいし、根拠があるなら示せばいい。
例の神戸殺傷でも同じことを言う。あの○○と同じ年齢。そんなの100万人くらいいるんでしょ。戦後、戦前とは全く違う。国のために死ね、それが生き方だと言われたことと、たがか自由保育だの、生活科だの、ゆとり教育だのそんなもので揺さぶられるほど、人は矮小ではない。
適当に感覚で言うなら、それは血液型程度の話。人を決めるのは、もちろん学力検査の数値でもない。生き方である。唯一、生き方への意志が、その人の価値であろう。
ちなみに、ボクはマークシートが馴染めなかった。今でも、ことばの領域ではマークシートから最も遠い世界で表出を繰り返し、ランガージュを続けている。