まちおこしの齟齬

図書館でまちおこしの本が並ぶ棚で足を止めた。衰退する町の様子を反映してさまざまな本が並ぶ。成功したとする町の声高らかな書きぶりがどこか違和感をもたらす。それは、基本的な問いとして、何が町の繁栄なのかがアプリオリにあって、全く吟味されていないことへの懐疑だろうと感じた。
戦後の高度成長の中のいくつもの物語を眺めると、そこから遠ざかっているように描かれているものがカウンターカルチャーであることも含めて、戦後的な成長と繁栄の思念から逃れていない。繰り返されてきた繁栄と、その減速という「衰退」に怯えてうろたえ、衰退が減速したことにまちづくりの成功を見るのは齟齬だと思う。
新しいまちづくりの考え方などない。奇妙な発展の、肥大化していく物語の終焉だけで、実は随分話が片付くのかも知れない。
こんなことを考えた伏線には、あるまちおこしに積極的な里に、県知事や国会議員が訪れた様子を見たことがあると感じている。住民が並んで出迎える、笑顔と拍手、握手の光景だ。本来のまちおこしは住民が作り上げるものだ。そこに、彼らの何が必要だったのだろう。招いた方も、招かれた方にも富の分配による利益供与の匂いがプンプンする。僕はそんな匂いに最も嫌悪感をもつのだ。
矜持を高く、自分たちの未来は自分たちが開く。見たければ来るがいい。阿ることはしないし、物乞いはしない。そうできないところに、実は、地方にとっての最大の齟齬による呪縛があって、それは他ならぬ、地方自身の求めに応じて、その期待に反応してうまれている現実だと痛いほどに感じてしまったのだ。
政治家の資質は、市民の資質を代表している。
やっぱり、そんなものか。どこまでもそんなものか。いつまで、そんなものであり続けるのだろう。懊悩するだけ、僕は町を捨てきれない。

価値評価の軸

どう考えてもわからない、全く理解できない、などの言い方が乱暴に交わされて対立点による是非ばかりが際立つ幼稚な議論が覆っている様子はどうにも気持ち悪くて仕方がない。もしかすると、白黒付けていくディベートなんかが随分流行った影響があるのではないかとも考えることがある。
ディベートは議論の技術なのだが、根本的な欠陥は、テーマ自体が参加者による問いから発していないことだ。僕は、学びとか教育とかいったときに、今、流行しているアクティブ・ラーニングなんて言葉をもってくるまでもなく、問いの共有こそが本質だと考えている。問いがないところには探求も、追求もないわけだ。問いが主体性に確保されていることが、学びを担保する唯一のエビデンスと考えているのだから、アクティブ・ラーニングなんて言葉が気持ち悪いのは説明するまでもない。
主体的な問いのない、つまりは、何を考えようとする意識が欠如したまま、立場を鮮明にすると、賛成反対の旗だけを問題にし、自らの立場を擁護する弁明に終始する。そんなものは、議論とは呼ばないのだ。
では、なぜ、この問いが発生しないのか。そこには、それぞれに経験的に積み上げられ判断されていくべきそれぞれに固有の価値基準がどこかにかすめ取られているのではないかと考えている。
価値基準は経験的に積み上がるものだ。
ある会話の中で、ある旅行で15万円の宿に泊まってきたと話した人がいて、なるほど、そうやって金額で示さないとその価値を表現できない場合があることに気づいた。有名老舗旅館に宿泊したのならそのような表現をすればいいわけだし、そこで得られた感じ方を自分なりに表現し、15万円の妥当性を話せばいいわけだが、それを藪から棒に15万円を表現することで、その金額の差異にしか価値を持てなかったのではないかとさえ思えてしまうのだ。
こうしたことは、ランキングが好きな人にも言える。自分の中の価値を見極めることが難しく、つい外在的な価値基準を援用してしまう。自分の価値に凝り固まって他の価値基準を寄せ付けない人は迷惑だが、その考え方や判断には基準があるだけ、相入れるかどうかの段階は生じるものの、自身の基準と対称化すればいい。
こうした心象形成がどうしてなされたのか。一時、ほめて育てるということがしきりに言われた。できないことをいくら口説いてもだめだ、自尊感情を高めるためにもほめて育てるのだというのだ。この頃では聞かなくなった。そのことが認知された結果とも考えられるが、実は、奇妙な形で潜行してしまったのではないかとも懸念している。
ほめるのではなくおだてる、体験の中から成功体験だけを設定していく。そういうことを繰り返して、自己評価が曖昧になってしまったゆえに、過剰な自尊心と不合理な自信に支配された人を多く見るようになった。それが挫かれると激しく落ち込んだり、人に攻撃性を示したり、浮き沈みが激しい。白黒だけで、そのことに感情を大きく揺らしてしまうのだ。
実は、政治がそうした意図を持ち始めていないか、ずいぶん、気になる。わかりやすさの影に複雑な問いかけ、市民がみんなで民主的な手続きで組み上げていくべき議論を遠ざけたままで、わかりやすい方向に、単純化し、幼稚で稚拙な結論を示してその賛否を問う。
そうでなければいいのだが。

議論ベタになった

新聞の質の低下がまるでジャーナリズムの後退のように言われているけれども、その実は、議論ベタという背景に支えられた表現ではないかと考えている。
どう考えてもおかしい。そんなわけはない。なぜそう考えられるのか。そうしたフレーズが飛び交う。議論を一回りさせた挙句、問題をリセットしてしまうかのような言説で括ってしまうなど、かみ合わないというよりはすでにリングに上がってさえこないような問いそのものが共有されていない話し合いが繰り返される。そのうえ、雪崩をうったような勝ち馬に乗ったフォローばかりが強調されて、問題を深化させることなく、話し合いは平行線どころか一方的な決着で終始する。
何が変わったのだろうか。想像力の欠如ということをずっと以前から考えていたが、人がその想像力を失う故がつかめない。なぜなら、人は想像力によって文化を築いている。その営みを放棄した時に、本能から疎外された文化を失うはずなのだ。
キーコンピテンシーは、問いを共有できる力ではないのかと、このところ急速に収斂しつつある思考の手応えがある。この方向でもう少し考えてみたい。

道徳教科化の対立軸

道徳を教科にしようということについての議論がある。
そのことで社会秩序を維持していこうとするという考え方と、一方で、価値の押し付けだとする立場があって、それが対立しているように思われているが、その議論の構造そのものが間違っている。
道徳を教科にすることは、そもそも全教育活動を通して行ってきた道徳教育を教科として授業の枠組みに矮小化することであり、道徳教育の相対的な位置低下を招くのはもちろんのこと、道徳の時間においてさえ、価値を教えることなどしていないのだ。
議論はかけ違っている。道徳とは何かと問いが根本的に欠如しているのだ。
多くの議論に、問いが失われている様子見つけられる。何をどうすべきかという以前に何が問題であるかを捉える洞察を欠いているのだ。その洞察こそ教育の命脈である。だから、それは教育の議論ではなく、何を期待するかについてそれぞれの立場を主張しているに過ぎない。
ラーメン店で、味噌にするか、塩にするか、餃子をつけるか、という義論からそれほど遠くはない。

もうすぐ開通

新幹線の開通が近づいて、富山の売り物がずいぶん露出している。
ブリしゃぶ。
食べたことは数度。たぶん、なかった料理。脂ののりがいいブリをわざわざ熱い出汁で脂抜きする理由が不明。そのまま食べるか、新しいフクラギを食べてみろよと繰り返し、述べたい。カマはいいよね。
シロエビのかき揚げ。
シロエビってむかしは、赤色に染めていたそうだ。30年くらい前に食べたが、びっくりするほどのものではない。いや、うまいのはうまいけれど、それでなくてはというわけではない。甘エビの身崩れしたやつに醤油ぶっかけるのが好き。
どうして、富山の食卓に乗っているものを売り出さないんだろう。付加価値が足りないのか。それも、普段のものが気に入らないのか。
そういう中、赤いかまぼこの焼き飯とか、干しガレイとか、カワハギの味噌漬けとか、ゼンマイの煮たやつに出会うとうれしくなる。
同様に、どのポスター見てもいっしょ。どんどんきつくなってきた。某秘境系のポスターなどは、観光客が入れないポジションからのポスターが数多く存在する。
どこまで観光客を考えているのだろう。
考えていないのだろうな。
目を引く。そこだけのように思えて仕方がない。
富山のインセンティブとして、スタバがでてくるたびに、ため息以上の言葉が出てこないのだ。

ひもじい思い

富山駅の周辺で寝起きしていた方がおとといの朝、冷たくなっているのを発見された。地下道にうずくまるようにして、時々地上でカップラーメンをすすっている姿を見かけていた。足が悪いらしく膝を伸ばしたままで、時々、毛布をかけてどこに目を合わせるわけでなく、いや、人と目を合わせないようにして、ずっと佇んでおられた。
学生の頃、お金がなかったわけではなかったのだがひもじかった。使い方がおかしいのだ。どこか偏っていて、日々の食事に費やすものがない。仕方がないので河原で瓶を拾ってはきれいに洗って酒屋に引き取ってもらった。それで何とか100円くらいの金を作って、大学の食堂で白飯を食べていた。生協のおばちゃんが、「中にしときなよ。大盛りにしてあげるから」とささやいてくれる。それで10円浮く。そういう学生は、僕だけではなかった。
たまに酒をおごってもらうと、そのまま駅で眠った。途中、どこかのお店の裏側で段ボールを入手して、それを地面に引いて横たわるとけっこう寝れるものだ。駅には、指を粗相で落としてしまったやくざ者や500円ばあちゃんと呼ばれる、今、思い出せばせいぜい40代と思える少し艶の残った女性がいた。指が2本残った人は、右3本、左2本の5本の人の先輩らしく、いろいろ指図を受け叱責を受けていた。時々、拾ったアタリメなどを「にいちゃん、食うか」と誘ってもらえる。お金もないし、家もないのだけれど、屋根がある、人がいるという暮らしが小さく暖かな光を持つ瞬間だった。やがて、時代はバブルという浮かれた季節に入り込み、僕はそういう流れからも遠い場所で暮らしていた。
新聞に小さく掲載されたおじさんが亡くなった記事に、たまらなく哀切を感じた。いつも、もしかしたら、僕はそのおじさんのように暮らしていたかもしれないのだと感じていたのだ。その感覚はだれにもあるのだろうと思っていて、手を伸ばせない自分自身をまったく不甲斐なく、情けなく、それでいて、気持ちを切るわけにもいかなかった。そんなことがどの人にも起きていると、実は楽天的に信じ込んでいた。だから、記事にもなっている。まったく好きになれない地元新聞だが、こんな記事を載せられるほどではあったらしい。
ところが、バブルの真っ只中で学生時代を過ごした同僚と話していて飛び出した言葉に驚いた。
「ひもじい思いをしたことがない」
立派なご家庭だったのだろう。しかし、彼に切なさを片鱗も感じなかったのは、そのせいだったのだろう。人が1日1日を愛しく感じるのは、根底にあるそうした思いへの共感ではないのか。対人援助職にあるものは、その風景を持っていなければならないと考えていた自分の前提が瓦解したようで、そちらの方に揺れている。
おじさんは何を見ていたのだろうと、雪の通りでしゃがんでみた。そうか、おじさん、青空を探していたんだ。鉛色の雲から見える最初の青空はおじさんが見つけていたんだ。その愛しさは、彼にはわかるまい。悔しいが、それが育ち、経験ということだ。

コンセプトをもつということ

新聞のよいところは自分が興味をもって探しに行かなくても向こうから勝手に情報がやってくるということかもしれない。
昨日の朝日新聞の増刷にスノーピークの山井さんが出ていた。独自の製品で、ゆっくりとアウトドアのブランドを築いた人だ。燕三条という日本の加工技術の先端地で現在も開発的な製品をリリースしている。
自分が使っているのは鍛造のペグ。激しく重いのが難点だが地面を選ばない。鍛鉄というのは適度な粘性があってなおかつ十分に堅牢なのだ。河原でのタープ設営にどれほど役に立ったか。モンベルの辰野勇もそうなのだが、製品についての透徹した考え方に惹かれる。ブランドとはそういうものを指すのだろう。有名ブランドといわれた瞬間、その価値がねじ曲がって、有名であることに価値を置くようになる。
以前に、建築の記事を見ていて、建築とは建築技術ではなくコンセプトなんだと設計士が書いていた。どういうすまいを作るのか。それがなければ建築にならないという。今気づいたことではないのだが、コンセプトという言葉に引っかかった。
建築やものづくりのような創造性の高い仕事の基礎は、才能もあるのだろうけれど、教育なのだろうと思う。それをふまえると、教育ではコンセプトを作ることをやっているのだろうか。子供たちの作品のひとつひとつにコンセプトがあるはずなのだが、それがよく見えない場合が多い。どう描くか、どう作るか、そのことで何を表現して、どんな作品になって現れるのか、そうしたところがよく見えない。こうやってこうすると言われて、それをよく表現しましたという作品が、まったく少なくない。
考え方の中心にあるもの、コンセプトでも、思想でも、意志でも何でもいいんだが、表そうとするもののの本体をじっくり問い詰めている時間が、残念ながら教育では萎んでしまったにだろう。わかりやすくあっさりとはっきりした答えを手っ取り早く提示することではなく、悩んでいることそのものをまるごと担保されるような、そういうものを僕は教育とか、学びと呼びたい。