魔魚

今朝の毎日新聞に出ていた記事である。「ブラックバス規制を考える」というもので仙川日記で紹介されていたので、早速探してきた。記事は、水口先生と、秋月岩魚さん、それと、中井克樹さんという博物館学芸員の方の3名で構成されている。
中井さんの主張は、「「自然環境が健全に保たれていれば、外来生物の悪影響は生じない」と漠然と信じる研究者もいる」として、ブラックバスが在来生物に深刻な影響を与えており、地域の実情に応じた有効な捕獲体制の確立が急務であるとしている。そして、それが「社会的なコスト」の負担であり、「常識的判断」だという。
少し違和感がある。まず、在来生物の減少はブラックバスが引き起こしたものとだけは言い切れない。むしろ、不完全な自然環境のせいであると向き合う態度は必要であると思う。北朝鮮がいなければ世界は平和になっているのか。北朝鮮をああした決断に向かわせる世界の情勢に何か誤りはないのか。何を問題とするのかについて少々掛け違いがある。密放流に言及しているが、では、制度的に行われている科学的にでたらめな乱放流はいいのか。
次に、秋月岩魚さんである。美しい写真はボクもよく味わわせていただいた。生き物への敬意が表れた写真はすばらしく、自然に対する氏の感情がよく示されていた。
月氏は、「賛成か反対ではなく、「当たり前」なのが、ブラックバスの第一次指定である」と書き出す。多くの人がそう考えているから「当たり前」なのだそうである。中井さんといい、秋月さんといい、「常識」とか、「当たり前」とか、それじゃまるで「神の国」発言の元総理だぞ。みんなが支持しているからと言うその根拠を示すことなく、空気だけを描いてそうだと言い切る。
「問題を引き起こす外来生物は多々あるが、ブラックバスほど悪質なやり方で全国各地にばらまかれた生き物はいない。」と言うが、さて、ボクは湖産鮎が日本中に悪質なやり方でばらまかれているのを知っている。生物がもつ固有の生態環境を無視した放流と再生産を目論むことのない断絶した生態系を生み出し、商業化している例を知っている。秋月さんはそのことをご存じないらしい。国内では再生産が困難なニジマスという魚が夏にはつかみ取りなどとう荒っぽい方法で方々で自然体験だの何だのと冠を付けて無差別に放流されているのを知っている。ニジマスはフィッシュイーターである。岩魚や山女がほかの川の遺伝子を持ち込んで、もともとの川の遺伝子を荒らして、そのうえ、再生産力の小さい連中が交配し、その土地の遺伝子をすり減らしているといった想像は、ブラックバスが小魚を食い荒らす直接的なイメージよりも不気味である。
ボクが問いかけているのは、ブラックバススケープゴートにする前に考えることがあるんじゃないかってことだ。
かつて、黒部川で排砂が行われた。ダムに堆積した土砂を下流に吐き出すのである。浸食の被害を目の当たりにしているものとすれば画期的な解決法であったが、その管理には限界があり、ヘドロを排出したり、川がまるで放水路のようになってしまうという現実がある。ボクはその光景を見ながら、そのダムが生じる電力が大都市のエネルギーとして消費されている現実に愕然とした。川のことだけ、魚のことだけではなく、私たちがどんな社会を選択するかの議論がそこには必要ではないのか。「ウグイだってメダカを食うのだ」し、メダカを滅びさせたのは農村である。農村をそんな場所に追い込んだのは、都市論理による発展だろう。都市がメダカを食ったのだ。だとすれば、大都市に住むものに社会コストの負担をさせよ。それが、町の連中が嫌いな公共工事に化けるのだ。メダカの代わりに、田舎に仕事を与えている。鱒釣りが好きな連中が嫌いなコンクリートの堤防は、メダカを食っちゃった都会が田舎に払ったコストなんだ。悪循環なんだよ。どこかを斬っても、あふれる洪水をそらす方法の解決にはならない。
さて、水口先生の記事である。これまでの論調でお馴染みに近いのだが、少し違和感が残るのが「キャッチアンドリリースで釣りを楽しむ子供たちに殺すことを強いてしまう」という記述である。ボクはこの問題に、子どもがどうのこうの、教育的にどうのこうのと含んでしまうことを懸念している。そんなことなど言わなくても、問題は見通せるはずだ。しかし、敢えてそんなことを書いて、何だか哀れでも誘わなくてはならないほど、水口先生の向き合っているものが幼稚なのかもしれない。
選民思想。極端かも知れないが、その言葉を思い出した。
問題をいくつかに整理する必要があると思う。

  1. 輸入規制も含めた密放流に関する問題。
  2. 在来生物を保全する自然環境の保護の科学的な検証。
  3. 現在生息しているブラックバスをどう取り扱うか。
  4. ブラックバス以外に乱放流されている魚や商業的に放流が放置されている鮎、ニジマス、ワカサギなどの移動、または、科学的に遺伝子を保存できる放流の在り方をめぐる問題。
  5. 感情的な議論と政治的プロパガンダから離れた科学的な議論。

とりあえず、そんなところを感じている。