竹島の日

日本で思う以上に竹島に関する韓国の関心は高い。何かのプロパガンダが作用しているのか、あるいは、やはり、日本海(東海)の呼称と同様、もともと問題意識もあって、日本では意図的に隠蔽されてきたのか。そこらがどうにも判断が付かない。
韓国のある市では、「対馬の日」も作ったそうで、なるほどそういう展開も有り得るだろう。もともと、どこの国だったかという議論は、国の概念の変遷によってずいぶんと違っているはずだから、ブラックバスの問題と同様、どこで線引きするかということで大きく議論が変わってしまう。そこは、ボクには判断できるような材料はない。それほど知らないのだ。
しかし、今頃、何で「竹島の日」なんだろうか。そこが一番変だ。日本海側の小さな県ということで親近感も高かったが、ああいうところだったとはなあ。反動というよりは、強硬な姿勢を見せている方が得だと、そんな空気があるようにさえ思う。
昔、いしいひさいちが「バイトくん」のなかで「革命なんて声の大きいもんの勝ちやで」と言わせているが、まさしくそんなものだ。声高に正当性を訴えた奴がアドバンテージをもつのは、この社会のセンサーがあまりにも鈍感なせいだろう。繊細な反応ができず、大きな力で一気にふれる。