今夜のノアコロ

今夜は、先日の武道館での天龍・秋山対小橋・潮崎が流れるので楽しみにしていたら、1989年の天龍・ハンセン対鶴田・小橋が先に流れた。鶴田が元気だった頃だ。これは見ていたぞ。あの若者が、今や絶対王者である。強くなろうとする意志が前向きにどんどん放たれて、これは強くなると思ったものだ。
かつて、三沢・小橋・秋山・田上の試合を見ていた馬場さんがリングサイドの解説席で泣いていたことがあったが、ボクは、かつての試合と先日の武道館を見ながら、本当に感慨深く涙を流してしまった。
プロレスは肉体のリアリティである。進化する肉体のリアリティと言い換えよう。小橋の逆水平が天龍の胸の肉を破り流血。試合後、小橋は「ああしなくてはならないからああした。相手が天龍だから」とわずかに口元に笑みを浮かべて話す。うれしくて仕方がないらしい。
天龍の入場には震えた。何たる存在感。
この人は不器用な人なんだ。前頭筆頭、これからというときに、二所ノ関部屋の分裂騒動。大麒麟内弟子たちといっしょに行動を共にする天龍は結局裁定で二所ノ関に戻ることを命じられ、それで引退。プロレスに入るも、最初はリズムが合わず褒められるものではなかった。それが、鶴田とともに大きく成長。今で言えば、容赦ない小橋とでも言うような強烈な攻め。大きな印象を残すが、馬場をフォールし、全日本を出奔。以後、迷走を続けるが、最近になって体調も上向いたのか若い者の大きな壁になっている。
巡って、天龍のスタイルを踏襲する小橋との対戦。受けられるだけ受けるとの思いもあっただろう。天龍らしく、天龍のように、天龍として戦っていた。
東京ドームには佐々木健介が参入。あとは高山が戻ってくればいい。
格闘技は相手を倒すもの。プロレスは肉体のリアリティ。この違いがわかる人は、おそらく、最近の陳腐なロマンストーリーなどどうだっていいと思う人か。
ブンガクのことばを超える肉体を見た。